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正則の山行記録2/附属編・東京WALKING 第3回<首都高>築地川・楓川

実施日:平成19年5月3日(木) メンバー:単独 <築地川・楓川をめぐって>

都心環状線で気になる道がある。江戸橋ジャンクションから汐留トンネル間である。高架から半地下道路になっている。調べてみると、昔の河川を東京オリンピック開催のため、高速道路にしたのである。狭い2車線でカーブが多い。特に大型車両の運転手は運転しづらいと思った。箱崎方面から汐留方面に向かうと、頭上の橋が気になる。橋桁にちゃんと橋の名前が付いているのに気がつく。但し反対方向から来ると明記されていない。この気になる橋を巡って散策することにした。 新橋駅を降りて、日テレ前を通りぬけ、銀座郵便局手前の細い道に入る。高速道路は丁度汐留トンネルから抜け出た所である。そこに新尾張橋がある。最初の橋だ。 070503f0010_1 朝日新聞東京本社の裏に出る。新大橋通りに出ると目の前は築地市場。長靴は履いた仲買人が荷物を台車に載せて、路上を駆け巡る。新大橋通りは2重駐車で渋滞する。それに輪をかけて観光客も押しかける。大賑わいである。今日は休日で穏やかな平和な築地界隈である。朝日新聞社をぐるりと回り、首都高に戻ると、千代(せんだい)橋である。 070503f0007 橋を渡って左手に銀座中学がある。「銀座に中学校がね!」なにか不思議である。日本一の高級繁華街に不似合いだ。しかし格好良い響きだ。銀座中学を母校としている人は自慢の種になるのでは!千代橋をUターンして、築地市場に戻り、国立がんセンターを一回りした。地底高速道路へ戻る。橋の手前に狭い首都高銀座入口がある。この首都高を渡る橋が采女(うねめ)橋である。 070503f0013 (松平采女正の屋敷跡でその後、采女が原と呼ばれていたのが名前の由来)好奇心の強かった中学生のとき、この名前の題した本を買った覚えがある。卑猥な本なのかと期待していたら、歴史の纏わるまじめ本であった。その采女であるが。早い話が後宮に使える女官である。女官といえば、唐の時代に楊貴妃という世界三大美女がいた。その楊さんの官位が貴妃である。一番くらいの高いのが皇后であり、ナンバー2の位置ぐらいだと思う。皇后を越えて皇帝になった則天武后は女性最初の実力者エンペラーである。ちょっと脱線しました。 話を元に戻して、今回の散歩の主題は都心環状線の汐留~江戸橋ジャンクション間の半地下道路である。これがなんであったのかがなぞでした。今回の歩きで分りました。隅田川下流に浜離宮庭園がある。浜離宮を渡る橋が南門橋。この川が築地川。江戸城を築城するときに海を埋め立て、掘割した。城を中心に武家屋敷、町人屋敷を形成し、どんどん運河が発達した。この築地川も流れのない川で、お堀であり、運河でした。その築地川は南門橋から現在の首都高速を通り、三吉橋で右に曲がり、入船まで行く。そこから南下(南支川)し、本願寺を通り、東支川(采女橋辺りから築地市場方面へ向かい、隅田川へ繋がる)と合流していた。そうすると三吉橋から先はというと。楓川が日本橋川に向かって、繋がっていた。首都高は新場橋から高架になり、その下に此の川が続いていた。要するに私のなぞは解けた。半分、築地川と後の半分は楓川ということである。采女橋の次は晴海通りの万年橋。 070503f0019 橋上に公園も付いている。築地寄りに東劇、日比谷寄りに歌舞伎座がある。次に赤レンガの祝橋。 070503f0022 此の橋にも公園がある。首都高の内回り寄りに歩くと銀座入口ランプがある。そして亀井橋。 070503f0026 角に築地警察署がある。そしてなぞを解く、三吉橋。ここに碑文があり、築地川(地図入り)の説明がされている。先ほどにも触れましたが、築地川はここから屈曲して右に折れる。新富町出口に川が続くのある。築地橋があり、新大橋通りに入船橋があります。真直ぐ隅田川に向かえば、明石堀で、更に右折すれば、南支川になる。この三吉橋は築地川と楓川の三つ又に架けられた橋である。「変った橋!」。 070503f0033 この橋を過ぎて、楓川に入る。そしてすぐ来る橋が新富橋。 070503f0043 この町内には古い家屋が多くある。次に新金橋。橋の真ん中に外回りの京橋入口ランプがある。 070503f0039 首都高西管理局の前を通り、次の橋を目指すと弾正橋。 070503f0049 名前の由来は江戸寛永年間に北八丁堀に島田弾正少弼屋敷があり、そこからきている。弾正橋は当時交差した堀川上に真福寺橋、白魚橋と共に三つの橋がコの字状に架けられていたことから、「三ツ橋」として江戸の名物であったようだ。その後明治11年に我が国最初の国産の鉄を使った橋として架け替えられた。今でも江東区の富岡1丁目にある公園に保存されている。またここで交差した川が亀島川に繋がっていたと思われる。次に小さい橋で松幡橋がある。 070503f0050 下に首都高、上に東京高速道路への高架に挟まれて窮屈そうである。次に宝橋は東京高速道路の連絡通路の上り下りのスロープに挟まれている。 070503f0054 一際広い八重洲通りに出ると久安橋があり、首都高の宝町出入口がある。 070503f0058 次に首都高を走って最後に見上げる橋が新場橋である。 070503f0064 これで終りにしようと思ったが、楓川はまだ先がある。首都高は高架線になり、その下が駐車場やお店が入っている。高速道路上では分らないが、その下に千代田橋がある。 070503f0069 続いて海運橋。 070503f0072 これが楓川の最後の橋である。日本橋川に当たる所に兜神社がありました。 070503f0077 東京の金融の中心地兜町である。 070503f0076 この上は江戸橋ジャンクションで向島線、環状線、1号上野線と入り組んでいるところだ。これで首都高川底道路の旅は終り。都心環状線は1周約15キロメートル。汐留から江戸橋JCまで約4キロメートル。青空の元、有意義な散歩コースでした。帰りは日本橋川を渡り、日本橋小網町経由で鎧橋を渡り、東京駅までのらりくらりと帰りました。

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