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正則の山行記録2・蘇州編4日目

平成19年12月10日(月) 「さあ、今日は帰る日だ。寝坊はしていられない。」朝食を済ませる。昨晩、テレビが映らなかったが、今朝はどういうわけか点いた。不思議だ。31階の部屋から外を眺める。やや濃霧のかかった大きな通りは通勤車両と雨合羽を着たオート自転車が忙しく動いている。どうやら雨である。我々は恵まれたようだ、最後の帰国日だけが雨。運がよかったのだろう。 8時前に息子が迎えに来た。来る時には大きなザックと旅行カバンがあったが、今日はザックはない、旅行カバンだけである。多少楽かな!また上海空港(浦東)へ3時間かけて戻る。車は渋滞もなく進む。途中、上海の料金所に入ると車を止められた。ほとんどの車は蘇州ナンバーである。前回の速度違反で罰金を払わされたらしい。よく事情が飲み込めないが。やや閑散とした空港に着いた。渋滞を見込んで来たので早めに着いた。時間もたっぷりあるので、3人で喫茶店に入る。30分ほど休憩して、息子と別れる。出国手続きを済ませ、免税店へ。日本の免税店と違い、簡素な売店風で通路に並んでいる。会社のお土産にチョコレートを買う。 2時に出発。来た時の飛行機(同じ機番)と同じである。乗り込むとすぐ機内食が出た。食後は、妻はイヤホンで何か聞いているらしい。私はスヤスヤとZzzzzz!。暗くなった成田空港に到着。5時25分。地元の町で夕食に回転寿司に寄る。やはり日本人なのである。日本人は贅沢なのかな!世界の食事事情を見ても、色々手が込んでいて、おいしい。満足して我が家に着いた。留守番のナツ(猫)もおとなしく家を守ってくれていたようだ。息子達に無事帰国したことを報告し、お礼の言葉を添えた。<終わり>

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正則の山行記録2・蘇州編3日目

127 平成19年12月9日(日) ホテルの朝食が一番落ち着けて食事が出来る。どうも中国の食事にはまだ馴染めないのである。パンとお粥、そしてヨーグルトとフルーツを食べて胃袋を満足させた。今日で蘇州観光も終わりだ。最後なので元気よく観光しよう。 息子と彼の彼女が迎えに来た。またタクシーで今日の一番目は私のリクエストで盤門へ直行。春秋時代、三国時代を偲ばれる処だと確信していたのである。庭園を見るのも良いが、歴史を少しでも蘇えらせてもらえる場所がそこにあるような気がした。それが盤門だ。入園口に到着。入口は他の観光地より人出が少ないようだ。25元を払い、また8角7層の瑞光塔に入るのにも入場料が必要である。瑞光塔は三国志に登場する呉の孫権の創建によるもので、現存するのは北宋時代に修復されたものだ。狭い回廊を登りつめると、裏の庭園が一望できる。広いのに驚く。そしてその左手に城門が見える。ここが私の最大の見るポイントなのである。瑞光塔を降りて、庭園を時計周りで見ることにした。盤門の楼閣手前にみやげ物店がある。妻たちが覗いているので私も誘われてみた。妻が「あ~へび!」。棒を小細工してあり、くねくね曲がるようになっている。私は妻に「中々上手くできているネ!。お土産に丁度いいや」私はまとめ買いをした。息子たちに手伝って貰い、現地語で値切り交渉が始まった。うまくいった。会社の仲間達にも喜ばれるだろうと思う。 今までお決まりの観光地めぐりだったが、ここでぐっと楽しくなってきた。弾みがついたようだ。そしてすぐ先に盤門があり、呉と記した旗が並べられている。盤門に立つ。古代中国の歴史が身近に感じられる。「うれしくなる!」外城河にかかる呉門橋を一望する。呉の兵になったような錯覚に!ちょっと歴史に酔ってしまったかな! 写真を取り捲りやっと落ち着いた。庭園に戻り、五相祠にはいる。坐像があり、また感動する。あの五子胥に会えたのである。母国、楚国で父親、兄を殺されて、執念に燃えて、楚の平王を仇に思ったが、彼が楚国を滅ぼした時にはすでに死んでいたのである。そして平王の墓を探し、墓を発いて屍体を鞭打つのである。なんというかものすごい執念である。また楚国を相手にしたときに孫子の兵法を著わした孫武も五子胥の戦友でもある。春秋時代にタイムスリップしそうだ。....この地にこられたのも息子のおかげである。感謝したい。 盤門を出て、そろそろお腹がへって来た。息子の案内でそばやさんに向かった。大きな通りからはずれ、路地に入り、2階に上がる。民放のアナウンサーがロケに来たのだろうか、徳光さんの写真が貼ってあった。同得興という店である。ガイドブックにも紹介されている。水晶担麺(ガイドブックには12元とあったが、20元した)を頼む。1階は大衆客相手で2階はやや上客相手という感じである。2階はゆつたり出来て落ち着ける場所である。4人でワイワイ云いながら、息子の彼女が通訳代りに料理の内容を色々聞いてくれた。細い麺と豚肉と野菜が一緒に出てくる。豚肉、野菜を麺の上に載せて食べる。あっさりしておいしい。麺好きな私にとってはほっとする。  食べ終わり、息子の彼女が路地の焼き芋を買う。(日本の焼き芋屋と同じリヤカーに似た運搬具に載せている)芋は日本のサツマイモとちょっと違う。彼女はこれが大好きらしい。喜んで歩きながら食べていた。 暫らくし、賑やかな観前街に入る。その前にデパートに入る。店内はきれいだが、トイレが日本のデパートと違い余りきれいとはいえない。高級感とトイレの清潔感は比例していないように思えた。人だらけの観前街を歩く。私の希望で道教寺院の玄妙観に入る。日本人に馴染みが薄い道教に少しでも触れたいと思った。孔子の儒教と老子の道教(神仙思想)。何が違うのか寺を見ても解答は得られなかった。もう少し自信勉強しないとわからない。寺の周囲は自由市場で大賑わいである。次にタクシーで拙政園に行く。だだっ広い庭園である。庭園の東屋でさりげなく水墨画を描いている人がいた。うしろから覗いたが、うまく描かれている。白黒で描かれた小枝が今にでも風に吹かれて靡きそうな感じである。...また立ち疲れた。庭園を出て、今度は歩いて北塔報恩寺まで。この寺は三国時代の呉の名将、孫権が母親の恩に報いるため建てた寺である。9層まで上がると蘇州の町が一望できる。下を見ると高所恐怖症の人には耐えられないと思う。膝の震えが止まらなくなりそうだ。それもそのはず、ここまで階段を上がってくるのにも一苦労である。その膝関節が弱った所で恐怖を味わうのだから。とても思い出に残る所である。一通り観光を終えた。そしてまた人ごみの現前街へ戻る。大きなレストランに入る。まずはビールで乾杯して、太湖産の桂魚、蘇州蟹と脂っこいものがどんどん出て来る。やはり辛いものが多いようだ。蘇州の晩餐も辛さで締めくくられた。人ごみの現前街を通り抜けた。そしてタクシーを拾うのにも一苦労である。息子はバスでの移動はお勧めでないらしい。日本の安全で清潔なバス事情と違い、やや異なる。そしてスリが多いとのこと。しかし妻は乗ってみたいらしい。妻の希望によりバスで帰ることにした。停留場にはバスが来る度に入口に人が群がる。ワンマンバスである。乗り降りするのにも順番に並ぶことはしない。われ先とみんなで急ぐのである。やっとバスに乗り込んだが、繁華街の照明とは対象的に暗い。車内は電灯がつかない。そして後ろの扉は故障で閉めっぱなし。バスは多少故障していても走れば運行しているのである。やっと郊外に出て、やや人が減ってきた。降りるときも息子たちの後ろにくっついて必死で降りた。やや興奮したが、楽しい乗り物だった。息子のマンションに寄り、どんな住まいか覗いてきた。部屋はシンプルで床暖房付きなので、住み心地は快適らしい。お茶をご馳走になり、中国の地図を広げ、現在地を確認する。「ひろいなあ!」と私。史跡、自然、観光地まだまだ行きたい所は多い。妻と「また機会があれば来たいね!」と話は弾む。 息子たちに見送られ、明るい街路灯を人気のない広い歩道を妻とトボトボ歩く。ホテルに着いて、明日の帰り支度をする。部屋のテレビがつかない。テレビを諦めて寝ることにした。まずは一通り蘇州の町を堪能出来たのでほっとする。あっという間に3日間が過ぎた。ちょっと物足りないような気もしたがとても楽しかった。

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正則の山行記録2・蘇州編2日目

126 (寒山寺) 平成19年12月8日(土) 朝食後、息子と彼女が迎えに来た。出かける前に航空会社営業支店へ電話し、帰りの手続きをした。もし中国人の人が出たら困るので、隣に息子を控えさせていたが、日本人らしい女性が対応してくれたので無事済んだ。  観光地めぐりはすべて息子任せなので、何処が見たいなどと贅沢は云っていられない。まずは息子の職場に案内された。ホテルから2,3分の所である。事務所には土曜日なので現地スタッフ3名の人が居ただけである。息子は何かと電話連絡している。休みとはいえ、忙しそうである。その後、簡単に中国での今の仕事などを説明してくれた。 会社の前からタクシーに乗る。日本のタクシーと違い、やや狭く、余り清潔とはいえない。運転手席は身を守るためか、アクリル板で覆われていた。相当、お客に対して警戒してる感じ。強盗が多いのだろうか! 最初に向かったのは寒山寺である。古い日本人には親しみやすいところである。蘇州夜曲の歌詞に出てくる。「 1 君がみ胸に 抱かれて聞くは   夢の船唄 鳥の唄   水の蘇州の 花散る春を   惜しむか柳が すすり泣く 2 花をうかべて 流れる水の   明日(あす)の行方(ゆくえ)は 知らねども   こよい映(うつ)した ふたりの姿   消えてくれるな いつまでも 3 髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか   君が手折(たお)りし 桃の花   涙ぐむよな おぼろの月に   鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)」 ロマンチックな歌ですね。子供のころによく聞いたような記憶がある。すぐ横に運河があり、昔はとてもロマンチックで所だったのかもしれない。観光客の人ごみとしつこい売り子の人達でやや幻滅する。でも歴史がある。禅宗として南北朝梁(紀元後500年ごろ)の時代に創建されている。唐時代にも有名な歌人達が訪れている所だ。狭い五重塔に入り、隣の屋根瓦にコインを投げている姿をみて、真似して投げる。うまく瓦に乗った。なんだか幸先が良いぞ!階下に下り、鐘楼を過ぎた所で日本人観光客の一行が来た。すれ違いざまに「ふっと」。見慣れた顔が現れた。TACTの仲間、そしてライダー仲間でもある田中さんとばったり会ってしまった。お互いにふけずに元気な姿である。お互いに声を詰まらせて驚いた。二言三言しゃべったが、彼も団体旅行なので置いていかれまいと集団の中に消えていった。全くの奇遇である。遠い外国の地で友人に会うこともあるものだとうれしい気持ちになった。確かに学生時代にもあった。スイスの山の麓でばったりクラスメイト(山好きな)に出くわしたことも会った。日本人が世界の観光地にいかに多く出ているかということかも!..... そして次は虎丘へ移動する。正面から「ピサの斜塔!」が見える。そうここは蘇州である。雲厳寺塔という。(東洋の斜塔と呼ばれている)地盤沈下で3.5度傾いているとか。丘の上に立っているのでよく見える。境内に入り、右側に試剣石がある。綺麗に刀で切ったような岩があった。説明文は漢文でよくわからないが、春秋時代とか呉王闔閭とか書かれていた。古代中国を偲ぶにはとてもよい所である。斜塔で一服。息子の彼女が中国人の子供に話かけていた。どうやらこの親子も地方から観光で来ているとのこと。彼女の通訳がとても役に立つ。ところが息子の方は携帯で中国語で何やら話し込んでしまった。現場作業への指示なのだろうか。話が終るのを待ち、また裏の庭園を散策した。 虎丘を一周して戻る。タクシーを拾うのも一苦労。道は信号があっても守らないし、マナーなんてとんでもない所だ。町に出ると見ているほうがノイローゼになってくる。タクシーに乗っても前を見ないようにした。疲れてしまうのである。とっくに12時を過ぎている。町の繁華街に出る。レストランに入り、ホッとする。やっと休める。息子たちがメニューを見て注文してくれている。何が出てくるのかお楽しみだ。次から次へと出てくるが、いったいこれは何の素材なのか!アヒルの舌。妻はおいしいというが私には馴染めなかった。いろんな珍味が出てくるが、疑心暗鬼になってきた。安心して食べられるのは野菜料理だけである。 食後はデパートへ入り、電気製品を見て歩く。特に日本と変わりない。色々と外国製品が並べられていた。 またタクシーで移動し、山塘街へ。運河沿いに古いお土産さんが並んでいた。運河には小船が行きかっていたが、運河は澱んでいる。息子から船に乗るかといわれたが、余りにも東洋のベニスは汚れすぎていたので断った。 次は留園へ。園内には池の回りに楼閣と長い回廊がある。石の芸施術品がある。贅を尽くした庭園である。だが私には共鳴できなかった。というよりもやや疲れてきたのだと思う。ゆっくり庭園を見たのだが、どうも苦手なのである。博物館とか美術館は。腰が痛くなるのである。妻もやや疲れたのか、一旦ホテルへ帰ろうと云いだした。 タクシーを拾い、ホテルへ。夕食の時間にまた会うことにして、息子たちと分れる。やっぱりホテルの部屋が一番落ち着くようだ。夕食の時間まで少し横になった。 ホテルから10分ほど歩いたレストランに入る。鍋料理専門店である。色々と食材を入れるのだが、辛いこと。ビールをお替りして、ヒーヒー云いながら格闘した。 やはり今日も疲れた!。ホテルに帰り、バッタンキュウ!明日は呉・蘇州の城である盤門が楽しみだ。

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