正則の山行記録2/附属編・東京WALKING第8回<神田川中流(その1)>
実施日:平成21年4月20日(月)
/目的地:神田川中流(約4Km)
/メンバー:妻と私
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今回は神田川中流を歩く。我が家を8時30分に出る。総武線に乗り水道橋駅で下車。スタートは10時丁度。前回は小石川橋で終了したので、この橋からまた始まる。
天気は曇り。前回は単独でしたが、本日は妻と同伴。3月末にも皇居を一周し、浅草まで歩きました。まだ桜が咲き始める時期だったのですがそれなりに楽しいウォーキングになりました。その余韻もあったのか、妻も快く参加。
(写真:小石川橋と高速道路)
神田川の上に首都高速道路(5号線)と合流します。しばらくすると昔、船着場として栄えた市兵衛河岸があります。
あっという間に飯田橋駅前に着きました。ふなかわら橋と飯田橋が隣り合わせになっています。本来首都高と一緒に右折しなければ行けない所を私の勘違いで外堀を神田川と思い込んで直進してしまった。その時妻にもこっちでいいのと注意されたにも関わらず、真剣に取り合わなかったのです。
(写真:飯田橋駅前)
飯田濠のあった形式的な橋に気を取られ、写真をパチリと。かえでばし、けやきばし、さくらばし。牛込橋を過ぎ、お堀の石垣沿いに走る総武線と中央線の電車の風景に気をよくして、ふっと「あれ、なんかおかしい!」とやっと気がつきました。首都高の早稲田出口に向かわねばならないのにと疑念を抱きつつ、まさしく神田川から外れていることに気がつきませんでした。妻に弁解しながら、東京理科大の前を通って戻りました。
ここから厄介です。橋に平行した歩道がありません。工事中で歩道橋の下りが閉鎖されていました。
首都高飯田橋入口付近に隆慶橋、新隆慶橋があります。この先は狭い橋なので説明を省き、羅列だけします。
白鳥橋、新白鳥橋、中之橋、小桜橋、西江戸川橋、石切橋、古川橋、掃部橋、華水橋です。途中、凸版印刷の玄関にきれいに五月が満開でした。
(写真:凸版印刷玄関前)
江戸川橋で高速道路とお別れします。早稲田出口と並行して神田川の上流へと向かいます。ここからは非常にウォーキングに適した歩道があります。川沿いに江戸川公園があるからです。桜の木が植えられていて、ちょっと前までは桜見の人で多かったことでしょう。
(写真:江戸川橋から覗く、右が江戸川公園)
公園内に大井玄洞翁の胸像があり、明治末期に江戸川(現神田川)大洪水があり、大正の初めに護岸工事を完成させたという功績を遺した人です。
ここら辺の川はかなりきれいになっています。川を覗くと大きな鯉が泳いでいます。歩道用の橋で一休橋があります。首都高の早稲田出口になります。
また区指定史跡があり、神田上水取水口大洗堰跡があります。その説明文を記しました。
「徳川家康の江戸入り(天正18年-1590)の直後、井の頭から発する流れに、善福池、妙正寺池の流れを落合であわせ、関口で取水して水路を定めたのが神田上水である。大洗堰で水が二分され、余水は江戸川に落し、他は上水として水戸殿に給水し、神田橋門外付近で二筋に分かれた。一つは、内堀内の大名屋敷に給水し、他の一つは本町方面、日本橋で北の町屋に給水した。大正末年には、水質・水量とも悪くなり、昭和8年に取水口はふさがれた。上水道として最も古い神田上水の、取水口である大洗堰の跡は、永く歴史に残したいものである。」
(写真:椿山荘の塀)
細い大滝橋を過ぎると椿山荘の塀に挟まれた石畳の歩道を歩く。関口芭蕉庵がある。江戸前期、松尾芭蕉も神田川改修工事に参画していたのである。
駒塚橋を過ぎると、歩道に這い蹲った物がのっそりノッソリと進んで来た。その前を初老の男性がリモコンで操っているのかなと思った。がその男性は携帯電話を見ながら、その物体の歩調に合わせて誘導しているらしい。近づいて来たのでよく見ると「亀」である。その方に名前を聞いたら、ケツメリクガメでガーナ産だそうだ。動物の散歩にもこんな朕動物の散歩もあるのかと驚いた。
(写真:亀の散歩)
緑に覆われた神田川をまた覗くと、一羽の白鷺が川底で餌でも探しているようだ。都会でのめずらしい風景である。
(写真:緑に囲まれた神田川)
豊橋、仲乃橋、三島橋に平行して都電荒川線が走っている。面影橋で新目白通の「面影橋駅」で都電に対面。懐かしい乗り物である。隅田川ウォーキング以来である。
(写真:魚道の神田川)
また神田川に戻り、曙橋を過ぎて、魚道がある。以前ここに治水上必要な段差があり、魚の遡上の妨げになっていた。最近この魚道設置により、この先でアユの遡上が確認されたそうだ。
明治通りと交差する高戸橋で都電ともお別れである。
(写真:高戸橋上から)
高田橋で神田川本流と水路(妙正寺川かな!)が分かれている。
歩道は今までと変わり、繁華街になった。
源水橋、戸田平橋、高塚橋。前方には西武線、山手線が間断なく往来している。
(写真:高田馬場方面へ)
神高橋で本日のルートの最終とした。
また次回はここから井の頭を目指したい。午後0時40分。橋の手前から左折して、人の往来が激しい高田馬場駅へと向かう。
妻の催促もあり、昼飯の時間でもある。駅前の看板を背負ったお兄さんに勧められ、居酒屋「くろ0」に入る。焼肉定食と半額のビールとつまみで本日の慰労会となった。
帰りは東西線に揺られ、夢心地である。船橋駅で買い物し、我が家に3時過ぎに帰還。
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<順路>
小石川橋~船河原橋~隆慶橋~新隆慶橋~白鳥橋~新白鳥橋~仲之橋~小桜橋~西江戸川橋~石切橋~古川橋~掃部橋~華水橋~江戸川橋~一休橋~大滝橋~駒塚橋~豊橋~仲之橋~三島橋~面影橋~曙橋~高戸橋~高田橋~源水橋~戸田平橋~高塚橋~神高橋
(写真:小石川橋と高速道路)
神田川の上に首都高速道路(5号線)と合流します。しばらくすると昔、船着場として栄えた市兵衛河岸があります。
あっという間に飯田橋駅前に着きました。ふなかわら橋と飯田橋が隣り合わせになっています。本来首都高と一緒に右折しなければ行けない所を私の勘違いで外堀を神田川と思い込んで直進してしまった。その時妻にもこっちでいいのと注意されたにも関わらず、真剣に取り合わなかったのです。
(写真:飯田橋駅前)
飯田濠のあった形式的な橋に気を取られ、写真をパチリと。かえでばし、けやきばし、さくらばし。牛込橋を過ぎ、お堀の石垣沿いに走る総武線と中央線の電車の風景に気をよくして、ふっと「あれ、なんかおかしい!」とやっと気がつきました。首都高の早稲田出口に向かわねばならないのにと疑念を抱きつつ、まさしく神田川から外れていることに気がつきませんでした。妻に弁解しながら、東京理科大の前を通って戻りました。
ここから厄介です。橋に平行した歩道がありません。工事中で歩道橋の下りが閉鎖されていました。
首都高飯田橋入口付近に隆慶橋、新隆慶橋があります。この先は狭い橋なので説明を省き、羅列だけします。
白鳥橋、新白鳥橋、中之橋、小桜橋、西江戸川橋、石切橋、古川橋、掃部橋、華水橋です。途中、凸版印刷の玄関にきれいに五月が満開でした。
(写真:凸版印刷玄関前)
江戸川橋で高速道路とお別れします。早稲田出口と並行して神田川の上流へと向かいます。ここからは非常にウォーキングに適した歩道があります。川沿いに江戸川公園があるからです。桜の木が植えられていて、ちょっと前までは桜見の人で多かったことでしょう。
(写真:江戸川橋から覗く、右が江戸川公園)
公園内に大井玄洞翁の胸像があり、明治末期に江戸川(現神田川)大洪水があり、大正の初めに護岸工事を完成させたという功績を遺した人です。
ここら辺の川はかなりきれいになっています。川を覗くと大きな鯉が泳いでいます。歩道用の橋で一休橋があります。首都高の早稲田出口になります。
また区指定史跡があり、神田上水取水口大洗堰跡があります。その説明文を記しました。
「徳川家康の江戸入り(天正18年-1590)の直後、井の頭から発する流れに、善福池、妙正寺池の流れを落合であわせ、関口で取水して水路を定めたのが神田上水である。大洗堰で水が二分され、余水は江戸川に落し、他は上水として水戸殿に給水し、神田橋門外付近で二筋に分かれた。一つは、内堀内の大名屋敷に給水し、他の一つは本町方面、日本橋で北の町屋に給水した。大正末年には、水質・水量とも悪くなり、昭和8年に取水口はふさがれた。上水道として最も古い神田上水の、取水口である大洗堰の跡は、永く歴史に残したいものである。」
(写真:椿山荘の塀)
細い大滝橋を過ぎると椿山荘の塀に挟まれた石畳の歩道を歩く。関口芭蕉庵がある。江戸前期、松尾芭蕉も神田川改修工事に参画していたのである。
駒塚橋を過ぎると、歩道に這い蹲った物がのっそりノッソリと進んで来た。その前を初老の男性がリモコンで操っているのかなと思った。がその男性は携帯電話を見ながら、その物体の歩調に合わせて誘導しているらしい。近づいて来たのでよく見ると「亀」である。その方に名前を聞いたら、ケツメリクガメでガーナ産だそうだ。動物の散歩にもこんな朕動物の散歩もあるのかと驚いた。
(写真:亀の散歩)
緑に覆われた神田川をまた覗くと、一羽の白鷺が川底で餌でも探しているようだ。都会でのめずらしい風景である。
(写真:緑に囲まれた神田川)
豊橋、仲乃橋、三島橋に平行して都電荒川線が走っている。面影橋で新目白通の「面影橋駅」で都電に対面。懐かしい乗り物である。隅田川ウォーキング以来である。
(写真:魚道の神田川)
また神田川に戻り、曙橋を過ぎて、魚道がある。以前ここに治水上必要な段差があり、魚の遡上の妨げになっていた。最近この魚道設置により、この先でアユの遡上が確認されたそうだ。
明治通りと交差する高戸橋で都電ともお別れである。
(写真:高戸橋上から)
高田橋で神田川本流と水路(妙正寺川かな!)が分かれている。
歩道は今までと変わり、繁華街になった。
源水橋、戸田平橋、高塚橋。前方には西武線、山手線が間断なく往来している。
(写真:高田馬場方面へ)
神高橋で本日のルートの最終とした。
また次回はここから井の頭を目指したい。午後0時40分。橋の手前から左折して、人の往来が激しい高田馬場駅へと向かう。
妻の催促もあり、昼飯の時間でもある。駅前の看板を背負ったお兄さんに勧められ、居酒屋「くろ0」に入る。焼肉定食と半額のビールとつまみで本日の慰労会となった。
帰りは東西線に揺られ、夢心地である。船橋駅で買い物し、我が家に3時過ぎに帰還。
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<順路>
小石川橋~船河原橋~隆慶橋~新隆慶橋~白鳥橋~新白鳥橋~仲之橋~小桜橋~西江戸川橋~石切橋~古川橋~掃部橋~華水橋~江戸川橋~一休橋~大滝橋~駒塚橋~豊橋~仲之橋~三島橋~面影橋~曙橋~高戸橋~高田橋~源水橋~戸田平橋~高塚橋~神高橋
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