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正則の山行記録2・上海編

目的地:上海(孫の顔を見に)/ 実施日:平成22年2月16日~19日/ メンバー:妻と私

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2月16日 JL791便はガラガラである。会社更生法で実質日本航空は潰れた。国営の航空会社になった。それにしてもこの乗客の少なさは赤字会社を物語るものである。 今朝、我が家を5時10分頃に出てきた。妻と荷物を旅客ターミナルに置いて、私は整備場に車を置いてとんぼ返り。一番のバスでターミナルに着いた。7時40分の集合であるが、1時間も早く着いてしまった。<省略> 成田を9時45分に経ち、現地に12時20分着の予定である。座席は右側55番と56番である。この座席も3日前にWEBチェックインで座席を予約したのである。本当にこのご時勢は電子革命による世の中になってきたものだと感心と困惑で複雑な心境である。 私は窓際で海しか見えないのに下を眺める。妻はラジオを聞いておとなしくしている。後ろの座席は最後尾に5人の男性が居るだけで空席(主翼の後ろの中央と左席は誰も居ない)になっている。 ランチは和食。缶ビール1本もらってご機嫌である。 12時20分に空港に到着。前回来たスポットと同じだ。長い通路を歩き、入国検査と税関もスムーズに通過。 入国ロービーは前回と比べ、静かである。柱に赤い服を着た女性がいた。おそらく迎えの担当者だろう。向こうでもそれとなく分かったようだ。こちらに近づいてきて、たどたどしい日本語で「○○さんですか」と聞かれた。私はうなずいた。4人組みを確認して、女性の添乗員は「もう一組が着ますので待ってください」といった。ホテルまでどのくらいかかりますかと聞く。約1時間です。 飛行機の一番後ろに居た2人がやってきた。ひとりの男性はやたらと英語で話しかけていた。日本語が通じるのに変な日本人だと思った。 3階へエレベーターで上がり、古くさいマイクロバスに乗り込む。荷物も座席に載せて。 私の耳が気圧に対応できずにパカ、パカ~いっている。治ればいいのだが。 高速道路は快調である。途中リニアモーターカーに抜かれた。道は空いている。春節のせいだろうか。しばらくし、大都会のビル群の建物に吸い込まれていった。さすがホテルオークラである。門から入ると正面ロビーの前まで車が入る。建物の前には広い公園があり、ビルディングホテルとはちょっと味が違うぞと思わせる。私は田舎者であるが、息子のおかげで名のあるホテルに泊まることが出来る。前回は蘇州のシャングリラだった。 今回は日本のオークラにも泊まった事がないのにと五ツ星のホテルに泊まる。なにか貧乏人が錯覚するのである。リッチになったものだと。 女性添乗員さんがフロントで手続きをしている。同乗の男性2名は車で待機中である。ここが済まないと次のホテルへ移動できないからだ。ちょっと時間がかかったが、「帰りの19日は11時にこのフロントで待っていてください」と言われて。添乗員さんと分かれた。 カードキーをひとり1枚ずつ預かり、17階へ。時計の針を現地時間にあわせ、ほっと一息する。3時に息子がロビーに向かいに来るので、あまりゆっくりとしてはいられない。私は段々耳が痛くなり、歯茎が痛くなる。このままおとなしくホテルにいた方がいいのかと少し悩む。でも身体を動かしていた方が気が楽なのでみんなと行動を共にする。 3時前に1階のフロントへ。亮が立って待っていた。まずは安心である。再会の喜びをして、市内へ行く前に円を元に変えなくては。亮にお願いして、6万円を両替してもらった。日本語でも通じるのだが、彼が中国語で喋っている姿を見ると不思議と安心するのである。私のみやげ物が入ったザックを丸ごと亮に渡す。 ホテルの近くに地下鉄の駅がある。峡西南路(1号線)駅である。彼の後ろをはぐれないようにくっついて歩く。私は大体の亮の住まいまでの交通機関を調べていたので、何処で乗り換えていくかは頭に入っていた。でも逸れたら厄介である。地下鉄は1号から8号線という表示なので日本と違って分かり易い。切符売り場は自動販売機があるが、台数が少ないようだ。息子がまとめて買ってくれる。一人ひとりカードを受け取り、自動改札口を通る。どうもこのカードは回収後も再利用するらしい。よって使い切りの切符はないらしい。お土産代わりに持参したい所だが、カードはあまり衛生上良くないのでやめよう。 人民広場はまたまた人だらけである。2号線に乗り換えるのにも大変だ。車両はドイツ製らしい。座席は日本のベンチシートと同じである。こちらの公共の乗り物はほとんど雑に出来ている。布張りシートは皆無。簡素といえばそうだが、ベンチの食べ物の袋など捨てられている。公共マナーは悪い。 上海科技館駅に着いた。大きな建物の前を通り、駄々広い歩道を歩く。日本人向けのスーパーによる。私は相変わらず不調である。建物の前で据わって待っていた。 マンション群の中をずっと歩く。車両の出入口は若いガードマンが物々しくたっている。我々は車の入口脇から入る。20メートルほど右折する。マンションの1階らしい。りんちゃんが顔を出した。元気そうだ。 早速部屋に入り、孫とご対面である。生まれてから、22日目である。かわいい赤ちゃんである。目が丸い。きっと美人になるぞ!でも孫が二十歳になるまで我々も元気でいられるかな。なんて先のことまで考えている。余り遅くなるのもいけないので、我々もホテルへ帰ることにした。でも亮がいないと帰れないので、送って貰う。峡西南路駅に戻る。さて何処で食事しようかと悩む。 ホテルを過ぎて真直ぐ奥へ進む。店らしい所がない。へんな所に入りこんでしまった。路地の中の迷路という感じ。妖しい所なので出てきた。通りの角にお店があったので入る。甘い上海蟹(今は時期ではないらしい)、色々食卓に並ぶ。私も元気がやっと出てきたらしい。蘇州よりも味加減が全体に甘いようだ。 ホテルで亮と別れ、部屋へ戻る。ああ疲れた。外は町中花火で眠れない。うるさい。カーテンを閉めても至る所で無秩序に打ち上げられているようだ。ヤレヤレ。 2月17日 耳の薬を飲む。1階のバイキングで元気が出る。きようはどこへいこうか。妻は何回か来ているので、私の要望で豫園と魯迅記念館に行くことにした。 フロントで会社の人から2万円を細かくしてくれと頼まれていたので、10元紙幣と20元紙幣に換えてもらった。 今度は豫園までどう行こうか算段。結局ホテルからボックスカーを2時間で借りることにした。割高になるがしょうがない。 豫園は人だらけである。ガイドブックにある薬やと豆やによることにしていた。 また会社から頼まれた薬を求めて入ったが、その薬はなかった。今度は妻たちが春節の飾り物を買うので値切り交渉を楽しんでいた。 豆やは忙しく売れている。ガイドブックで5元が12元になっていた。高いけど10個買った。といっても日本円にしたら安い。 裏通りを歩き、駅まで歩く。南京路歩行街はまた人で一杯。地下の大衆レストランに入ったが席がなかった。諦めて出てくる。世紀大道駅まで行くことにした。 腹が減った。大きな吹き抜けのビルに入った。わけのわからないものを並べて食べる。ビールだけは咽を通る。外に出て、歩くがどこをどう歩いているのか分からない。大きなビルが聳え立っている。 上海一番高いビルに入る。入口には人が行列をなして並んでいた。我々も並ぶ。460メートルも一気に上がるから決して耳にはよくない。でもせっかくここへ来たのだからのぼらにょゃ損損である。最上階まで上がる。テレビ塔を見下ろす格好だ。随分高いな。東京タワーなんか問題じゃないぞ。 腰が痛くなってきた。1階の喫茶店で休憩。そして夕食して帰ることにした。暗くなる。テレビ塔のほうへ向かう。亮の知っている日本料理店へ向かう。ビルに入ったが、店じまいか休みなのか閉まっていた。外に出て、さすらい歩く。伊藤屋という日本人向け?なのか2階建てのレストランがあった。夜景でも見て、ゆっくり食事が出来るのかと期待する。1階に2,3組の客がいた。2階へ上がる。誰もいない。1階に比べ、寒い。窓際からの夜景もよくない。なにより寒いので1階へ戻る。席はほとんど4人席だったが、1箇所6人掛けがあった。中国人のウェイトレスである。たどたどしい日本語だが、色々説明してくれたが、今一よく分からなかった。結局、焼肉食べ放題にする。注文した焼肉を並べ焼き始める。ガスコンロの具合が悪い。ひとりウエイトスがガスコンロの元栓につきっきりで立っている。おかしいなとは思っていた。しょっちゅうガスが止まるのである。息子が「席を変えよう」と言い出して、隣の4人席にイスひとつ持ってきて、移動した。今度は大丈夫だ。最初はすぐ肉が出てきたが、後になったら出が悪くなった。どうも食べ放題も調整されてしまったようである。また亮にホテルまで送ってもらった。 2月18日 さあ今日は午前中、魯迅記念館へ行って、午後は亮のマンションですき焼きである。ホテルで集合して、亮を先頭に出発。地下鉄で人民広場で乗り換え、8号線に乗る。いつのまにか地下から高架線に出て、市内が見渡せる。やや遠く、テレビ塔も見えた。 虹口足球場駅に着いた。人もまばらである。改札口に吉野家がある。さすが日本のチェーン店だなと感心する。道路上の高架橋でスタジアム(サッカー場かな)を渡る。閑散としたスタジアムを半周し、公園に入る。魯迅公園なのだが、記念館が分かりづらい。人が集まって、将棋やら、ダンスをしている。憩いの場所なのだろう。それらしい建物を見つける。入口が分からず、人家(古そうな煉瓦作り2階屋)の道路に出て、遠回りをして入口を発見した。私が魯迅館(江南住宅風の現代博物館)へ行こうといったものだから、私が率先して動き回った。まず、ここを選んだ理由は二つある。ひとつは日本人になじみがある人名である。そしてもうひとつの理由は拝観料が無料なのである。 チケット売り場があり、無料なのにおかしいなと思う。だがそこで、入場券を受け取り、料金は無料であった。監視する人は制服姿のガードマンだ。上海市における社会主義革命的観光地としての位置づけなのである。中は整然とされ、係員が配置されて、綺麗であった。魯迅の人間像も分からず、入った。彼が日本に縁のある文学者程度の知識しかなかった。 日中戦争時の写真があり、やや生臭い所もあった。魯迅が日本で医学の道を志していたことが写真を見てわかった。今の東北大学医学部である。中退し、母国へ帰り、文学に進み、北京大学で教鞭をとりつつ、色々な作品を発表する。中国の封建的な伝統に反対し、左翼作家連盟を上海に作り、国民政府に圧迫されたが、死ぬまで中国解放運動に活躍した人だ。まあ日本に帰って、魯迅の本をじつくり読む事にしよう。 腰が痛くなってきた。2階のトイレ前で1階の中庭にある売店を覗き込みながら休憩をした。 公園の広場はタコ上げを楽しむ人やマイクでカラオケに興じている人と様々である。さあ、お腹も空いてきた。駅へ向かう。駅は若者たちが増えてきているようだ。亮のマンションへ行く前に、昼食にすることにした。適当なレストランがなかったので、吉野屋へ入ることにした。牛丼以外にも色々メニューがある。私は海鮮丼にした。普段、日本にいても吉野家に入ったことがない。妻は初めてだとか。中国風の吉野家もいいもんだ。割引券入り袋をもらう。日本でも通用するとか。とりあえず、記念にもらってきた。一つ難がある。テーブルが狭い。食後の食器の片付けが疎かにされていると感じた。 亮の所の駅まで、1箇所乗り換えて行った。駅に着き、ショッピングセンターにお店がたくさんある。これといって欲しいものはなかった。 駅から10分ほど歩いて、日本人向け小型スーパーへ寄る。すき焼き用の肉、野菜を買い込む。ここはオーナーの教育が徹底しているのか従業員が商品の掃除にいそがしく動いていた。客は日本人と白人である。マンションに着いた。りんちゃんと孫の顔を見て、今度は大型スーパー(米国系列)へ買い物に出かける。 広い道路と広い歩道。たまに後ろから音もなくオート自転車が通り過ぎていく。 人通りはまったくない所である。15分ほどでにぎわっている大型スーパーに入る。肉の売り場は長く続いている。まあ広い。いろいろとある。上海人の胃袋をまかなっていると思えば納得する。 会社のお土産は豫園の豆を買っているので必要はなかった。だが、ここでお土産を買ったほうが上海らしいものがいっぱいある。いろんな珍味がある。本当に! 帰りがけ、香ばしいいい臭いに誘われて、屋台の焼き鳥ならぬ、焼羊肉を買い食いする。丸帽を被ったイスラム系の小柄な実直なおにいさんである。亮がお金を渡したら、多すぎると返してよこした。信じられない。中国にもまともな人がいるものだと感激した。 りんちゃんと孫のいるマンションへ戻る。早速、すき焼きの用意である。妻たちは忙しく動き回る。 楽しい夕食も終わった。みんなで記念撮影。妻もさすがに赤ん坊のあやし方は上手いものである。我が子のように抱っこしている姿は幸せの絶好調にいるようだ。この子はこれからどんな子になるのか楽しみである。亮はアジアの架け橋になる立派な人間になって欲しいと願っている。私は愛情一杯に注がれて、やさしい子になって欲しい。 今回の旅行のハイライトは終了。またの再会の楽しみにして、りんちゃんと亜希子に別れを告げてホテルへ帰る。 2月19日 本日は帰るだけである。亮の折角の休みも我々の為に案内して疲れたことだろう。今日だけでも親子水入らずで休養してもらいたい。午前中、ホテル周辺のデパート、お店を覗いて時間を潰す。 11時前に上海に来た時の添乗員さんとは別の女性である。客は我々だけであった。 空港に着き、早めに荷物を預けた。軽く食事をする。私は上海ラーメンを食べる。日本人には馴染めない味である。 でも無事旅行も終ろうとしている。私の中耳炎でお騒がせしてしまいみんなに迷惑をかけてしまった。忙しい旅行だった。<省略> 帰りの飛行機は行きとは全く正反対で満席である。しかもお客様は9割方中国人だった。日本航空も中国人を御贔屓にしてもらえばよいことだ。これからは中国人が大口のお客様である。世の中は変わる。我々も世の中の変遷に乗り遅れずに頑張らなくては。 成田空港に着き、帰りに新しく出来た、成田市内の回転すし屋によって帰った。

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