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正則の山行記録2/ロンドン・パリ編 4日目

3月2日(土)朝食はバイキングで私は2種類のハムとチーズ、クロワッサンのパン2個、ヨーグルトと果物そしてコーヒーである。ロンドンのホテルとは大違いである。 SATOMIさんも来ていて、モンサンミッシェルまで案内をしてくれる。 皆さん防寒具をしっかり身につけて、出発。シャトルバスでお城が益々大きく見えてきた。今はシャトルバス専用道路が出来、モンサンミッシェルの満潮、引き潮が不自然な状態になり、潮の流れに異変が生じているらしい。道路を取り除き、橋を渡すらしい。その工事の進行中である。 曇天の空であるが、天空にミカエルの像が尖塔の天辺に何かを啓示してようだ。 度迫力のお城である。SATOMIさんに記念写真を撮ってもらう。 島の入口にFUKEさん一行が待っていた。ここまでの案内役のSATOMIさんと別れ、地元のフランス人の方が案内役である。我々はお城へ侵入する。みやげ物屋が階段に沿って、軒を連ねている。帰りはしっかり土産を買おう。 所々、案内役の方の通訳をFUKEさんがしてくれる。急な階段なので足元をしっかり見つめて歩く。団体さんは他に2組いた。日本人である。どうも日本人に好評らしい。その団体さんと前後しながら、建物へ入る。 ぐるぐる回廊を回って、展望台に出る。周りの景色は海と川の三角州に囲まれた要塞である。ここに教会が立てられた当時、周りは森でここに岩山が立っていたとか。7世紀に地元の司教のオベールの夢の中にミカエル(旧約聖書に出てくる天使)からトンブ山に教会を建てろといわれるが、ただの夢だと思い、そのままにしていた。3回目の夢でミカエルの怒りに触れ、翌朝オベールの額に穴が開いていた。オベールは恐れ入り、早速岩山に教会を建てたという伝説。 その後歴史を刻み、カトリック教の聖地となり、多くの人がお参りにきたらしい。但し、潮の満ち引きが急で多くの巡礼者が犠牲にもなっていた。英仏100年戦争でも堅牢なお城は守られた。がフランス革命でここの聖職者は地元の人に捕らえられ、難攻不落の城も始めて陥落したのである。その後監獄に変わったものの、教会として復帰し、世界遺産に登録された。 というのが大筋の案内の内容である。こまごまとたくさんの説明があるが、省略。 一通り見学して下りてきた。さあ~てとお土産を買わなくては。坂の途中のお店に入り、カップなどを買う。最後は入口近くでここの名物のビスケットを纏め買いした。 シャトルバスで陸側に上がり、レストランに。モンサンミッシェルのフワッとした名物のオムレツを食べる。 これからは一路パリへ戻る。二度サービスエリアでトイレ休憩をする。 パリ市内に入る。6時30分頃にレストランで威勢のよいウェイターに迎えられた。ビールを飲んでほどほど気持ちよくなる。9時頃にホテルに着いた。ここのエレベーターも最新ではない。スーツケースを押して5階の部屋へ。 ロンドンのホテルよりは良い。そこそこ遅いのであるが、明日の行動準備をしないといけない。結局寝る時間は11時頃になってしまった。

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