正則の山行記録/カシオペア編

目的地:定山渓、 実施日:平成26年2月18日~20日、 メンバー:妻と私、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2月18日(火)  羽田から札幌へ移動。今年は異常に雪が多い。 10時頃に千歳空港に着いた。今回の旅は次男夫婦のプレゼントである。昨年は長男夫婦から電話を新品に換えてもらった。何かと子供達からお世話になる。  旅のプレゼントは北海道の旅。行きは飛行機、帰りはカシオペアで帰ってくる。 宿泊は定山渓。何といっても目玉は廃止になる豪華な列車カシオペアである。このカシオペアの命名にちなんでJRはフュージョンのカシオペアに商標権の問題もあるので承諾を得ているとか。話の真意は定かではないが。いずれにしてもカシオペアのリーダー、野呂一生は妻のいとこなのである。それを知っているのか分からないが息子が記念としてカシオペアに乗せてくれる計画を立て、旅行会社の友人に企画切符の手配をしてくれたようだ。 千歳空港で先にお土産を買い、送れるものは送った。プレゼントのお返しとして毛ガニを贈った。荷物もかさばらずにすむ。  そしてJR快速で札幌へ移る。定山渓の第一寶亭留(ほてる)が迎えに来てくれるのでその場所へ行くことにした。 駅の地下へ降り、腹ごしらえする。折角札幌に来たので札幌ラーメンを食べる。地下鉄南北線に沿って、地下道を大通りまで歩く。地上に出ると吹雪かれる。おお寒い!バスの待合場所が分かりづらかったが、妻がビル内にある案内掲示を見つける。まだ1時間早いので裏にあった喫茶店で時間つぶす。ブレンドコーヒー200円とお得である。外向きのカウンター席に座り、雪の中を歩く人を観察したり、店に備え付きの新聞を読む。 ちょっと早めに行ったら既にマイクロバスが止まっていた。乗客が少ないと思っていたら、全部で20名ぐらいになっていた。意外と若い人が多い。 1時間ぐらいで雪深い温泉郷に着いた。 係員が親切に案内してくれる。私たちは明日、小樽を回ってカシオペアで帰る話をしたら実は母親も娘の所(松戸)にカシオペアで往復したそうだ。飛行機よりも贅沢だといっていたが、まさしくリッチな乗り物でした。後ほど紹介いたします。 部屋に案内されて、サービスのお菓子を食べて、妻と明日の予定を話し合う。どうやら明日の日本海よりの小樽は雪で天候が荒れる模様。札幌発のカシオペアに乗れなくなるのを心配して、小樽は中止にし、札幌市内を見物することにする。 窓からの風景は定山渓の温泉街に雪は降り続いている。夕食まで時間もたっぷり。館内を偵察し、売店をのぞく。部屋で食べたお菓子が美味しかったので会社のお土産にする。「翠蝶の舞」という薄い蓬のもちで京都の八橋似である。 廊下にジョウザンシジミチョウの写真が掲示されており、この御菓子の由来にもなっている。個人的には蛾である。昨年の空木岳で山小屋の中に無数の蛾が飛来していたことを思い出した。ひょっとしてあれもしっかりした蝶類だったのかと思った。 6時きっかりに中2階の和風庭園内の食事処に案内される。 夕食は豪華な会席料理である。ベテランの仲居さんがその都度何の料理だと説明してくれた。器もきれいで凝っている。またビールのジョッキが焼き物で飲んだあと内側に泡の線がくっきり残る。仲居さんに何焼きか聞いたら、お店の釜で専属の人が作っているそうだ。 色々と焼き物の話が話題に昇ってよいひと時を過ごす。もちろん食事は一流である。食前酒から始まり、前菜、造り、煮物、肉料理には牛のひれ肉、揚げ物、蒸し物、ご飯、ワインが出る。デザートでお腹も大満足でした。 その後は特別に貸切風呂のサービスがあり、屋上の露天風呂(樽)へ上がる。二人でツララのある軒下の風呂に入る。風情があるが外に出ると寒い。 次に大衆風呂に入ってゆっくりとした。大小湯船をはしごする。

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2月19日(水) 朝食のバイキングを済ませ、また館内を散策する。 下の写真はジョウザンシジミ蝶。(省略) 部屋に戻り、荷物をまとめ、冬用登山靴を履く。今回は雪が多いのでブーツよりもまともな登山靴を履いてきた。ちょっとオーバーかな。 玄関先にマイクロバスが到着。20名ぐらいのお客が乗り込む。昨日のメンバーがメインなのか顔ぶれも同じだ。 通りは車が多い。中央線の白線は見えず、バスは中央線を越えて走っている様な感じである。路肩に集められた雪(2メートル)でセンターラインを無視し、轍の流れが大事なのかもしれない。 1時間ほどで市内に着いた。 大通りの地下道から札幌駅へ。駅の大きいコインロッカーに私のザックと旅行バックを預ける。妻はチョコレートのお土産が必要だということで土産品屋へ。また大きな袋がひとつ。持って歩くにはしんどい。また駅のロッカーを一つ借りることになった。 これからはどうしょうかと思い悩んだが、簡単に行けそうなのはテレビ塔だ。地下道をまた大通りまで行き、左折してテレビ塔に着いた。 エレベーターで3階に上がり、入場券を買って展望台に。大通公園と駅周辺が見えた。テレビ塔が出来た当時は一番高かったのだろうが今はまわりの高層ビルの方が高い。残念。 地下まで戻り、スタンドで日本蕎麦を食べる。蕎麦湯までサービスされた。ちょっと珍しいかな。 駅に戻る。カシオペアの入線時刻を聞くとまだ1時間ある。観光案内所に軽食コーナーがあり、300円のコーヒーを飲む。 場所代だと思えばよいのかな。 駅構内の入線時刻は4時3分。10分前に改札に入る。4番ホームの7号車入口に既に4人並んでいた。下に待たせていた妻を呼んで並ぶ。 先頭はディゼルカー。全部12両編成である。ダブルデッカー(2階建て)でいかにも近代的な寝台車である。豪華な電車の旅をさせてくれて本当に有難う。もう一生乗ることもないのだろうと思う。 7号車2番部屋はこの車両の最後尾である。2階立と違いややグレードが高い。テレビは全室装備されているが、この部屋には洗面トイレ付きである。息子の計らいで豪華にしてくれたのだ。もちろんディナーもセットしてくれていた。 列車が動き出した。向かいのホームに並んでいた乗客の視線を感じる。ちょっと先で母親と手をつないでいた子供が手を振っていたので此方も手を振る。子供もまた力いっぱい手を振っていた。お母さんもニコニコしている様子が伺えた。微笑ましい一瞬でした。 廊下に出る。苫小牧、室蘭辺りに出ると夕日に照らされた山が浮かび上がる。妻と有珠山とか平成新山とかお互いにいい加減なことを言っていた。妻は以前に洞爺に来ているのだが、無計画な旅なのでホテルも予約しないで慌てたとのこと。今は大分様子も変っているみたい。 雪の中の鉄道の旅もなかなかいいものだ。夕食は午後8時10分で我々は3回目なのである。夕食まで時間がたっぷりあるので、靴を履き替えて、12号車にあるラウンジ室へ。ドアーはセンサー付きの自動ドア。最後尾まで移動するのにも揺られながら進むので大変である。 展望ラウンジ室にアベックが一組しかいない。もったいない。このデラックスな部屋に我々含めて4人。白銀の世界に埋もれた鉄路に2本のレールが黒々と続く。そのうちアベックが出て行った。貸切状態である。なんとも贅沢な空間と時間である。 部屋に戻り、寝床の用意をする。説明書を読んで椅子をベットにする。かんたんである。しかしこの部屋は説明書にあるタイプとちょっと違う。対面ソファとロングソファを合体した形でベットがL字型になった。良く分からないが改良型なのかもしれない。 テレビはソチオリンピック真最中である。お腹が空いてきた。8時にアナウンスがあり、3号車まで移動する。3号車の真ん中に2階のビッフェ入口がある。食事券を渡して、中へ案内された。残念ながら外の風景は真っ暗で何も見ない。フランス料理を堪能していると、女性スタッフが親切に写真を撮ってくれた。 メニューが出されるたびに写真撮影した。田舎者丸出しである。慣れないナイフ、フォークも列車が揺れることを良いことに皿に接触する音でやや品にかけるのもごまかせるので丁度良い。 リッチな気分を味わえた。 スノーボードパラレル大回転で竹内智香さんが予選一位で通過し、みるみる内に決勝へ進出。最低銀、ひょっとしたら金メダルになるかも。 部屋へ戻り、ゆっくりとしているうちに函館に着いた。スイッチバックで逆方向に進む。残念ながら青函トンネルに入り、映像は写らなかった。

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2月20日(木) 青森駅で札幌行きの寝台車とすれ違い出て行くところである。向こうの乗客も此方に関心を示して覗く様に見入っていた。お互い部屋は明かりでよく見えるのである。 女子フィギャーは全然振るわず。SPで真央ちゃんがまさかの16位、鈴木明子が8位、村上佳菜子が15位である。メダルは絶望的となってしまった。すっきりとしないまま寝不足のまま仙台に到着。 6時半にラウンジへ出かける。サービス券でホットコーヒーにしてもらい、テーブルまで持ってきてもらった。二人きりである。モーニングコーヒーで明るくなった風景を見る。朝日でまぶしい。 30分ほどして部屋に戻り、ワゴン販売からサンドイッチを買い、朝食に。 宇都宮近くに来ると雪も減ってきた。 ホームには通勤客がお出ましである。 大宮駅に着くと、ベットを仕舞い、荷造りする。登山靴に履き替え、この旅も終焉に近づいた。 上野駅に着いた。定刻である。さすが日本である。欧州の列車はこうも行くまい。関心する。 列車の先頭に行き、撮影。ディゼルカーではなく、電気機関車である。ディゼルカーはどこで消えたのか、よく飲み込めていないのが素人の私である。それにしてもすばらしいたびを圭君とみどりさん有難う。

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正則の山行記録2/ロンドン・パリ編 6・7日目

3月4日(月)FUKEさんもモンマルトへ行くので私たちも途中まで一緒に行くことにした。 朝食はいつも早いのだが、本日7時頃にした。 10時30分にフロントで集合。老夫婦と愛知の女学生と私たちである。地下鉄に乗り、回数券を女学生から分けてもらう。 ビガール駅で下車。ケーブルカーでサクレクール寺院に着いた。我々はここから単独行動に移る。寺院の天辺まで行こうとしたが、入口で誤ってロスタイムしたので諦めた。寺院の裏手に回り、みやげ物屋へ入る。ここでキーホルダーを纏め買いし、更に大ジョッキーを4個購入した。お店の人が気前欲、20ユーロを返してくれた。何が気に入ったのかラッキーと妻は大喜びである。 丘を半周して帰るつもりだったが道に迷ってしまった。ゴッホの住んでいた家どころではない。東洋人に日本語が分かるかと尋ねても通じない。やれやれ、しっかりした地図がなく、ガイドブックの大まかな地図もあいまいながら、検討をつけて下ったら、ビガール駅に戻ったらしい。来るときの二つ目の駅へ戻る形で歩く。ムーランルジュ劇場で写真を撮る。 二つ目の駅でモンマルトの丘まで一緒だった2組の老夫婦と女学生に会えた。 お昼の時間なのだが、老夫婦はラーメンを食べに、女学生はレストランに行ったが戻ってきたようだ。我々は交差点の角のサンドウィッチ屋さんでサンドウィッチを買って歩きながら食べることにした。 女学生もサンドウィッチを買うらしい。我々は先行して進む。そのうち女学生達に抜かれてしまった。 大きな二又の道で彼女達も迷っていた。左だよと教えてあげる。もうそろそろホテルかなと思ったが、その先にあった。無事到着して安心。 2時までに着いてよかった。ホテル出発は2時30分である。三々五々に分かれたツアー仲間も戻ってきた。 ノード駅で迎えに来てくれた日本人が来て、空港まで送ってくれる。 シャルルドゴール空港に着いた。入国審査も済、免税店へ最後のお土産を買う。ユーロもなるべく使い切りたい。会社のお土産やら、近所、親戚の分と大変である。 機内は満席である。私たちの席は非常口である。足がノビノビ出せてゆったり出来る。キャビンアテンダントの方が説明してくれた。私も「一度羽田で降りてます」というと親近感からか色々話し込んでしまった。 帰りは梅酒、ビールを飲んで寛いだ。ほとんど寝っぱなしで時間も長く感じなかった。快適な空でした。 3月5日(火)成田着が14時05分予定が1時間早く着いたようだ。 二男夫婦が迎えに来てくれて助かった。途中、回転すし屋で2回目の昼食までしてしまった。無事我が家へ到着。夕食を共にするよう進めるが休憩して帰った。 たのしい欧州旅行でした。結婚40周年記念になったかな!京子さんお疲れ様でした。今度は南米のマチュピチュだ!

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正則の山行記録2/ロンドン・パリ編 5日目

3月3日(日)各自ホテルのレストランで朝食。開店早々お店に。空いているので窓際で食事をする。 本日は市内観光である。最初にシャイヨ宮からエッフェル塔を望む。今日は晴れであるが、肝心なエッフェル塔は逆光である。凱旋門を一周する。 そしてルーブル美術館へ。本日は日曜日で入場料はただ。地下駐車場に入る。ルーブルの昔の城壁跡を通り、長い行列に並び、入場する。逆ピラミッド広場で解散し、各自見学の後、ここで11時30分に集合。(日曜日は無料であるが、館内のガイドはないのである) 地図を貰うがすごく厄介である。まずは「モナリザの微笑み」を目指す。サモトラケのニケを見て2階に上がる。モナリザは40年前に私は見ているので驚くことは無いが、小さい額に納まっている。そこまでに行くのに大きな立派な絵画があるので、ついつい大きい絵画だろうと想像するのが一般的である。でも最近は皆さん周知されているので分かっているかも。 やはりモナリザの前は人だかりである。小さい絵なのでカメラを上げて撮影すると人の頭まで一緒に写っていた。 次はミロのビーナスを見る。ラメセス二世の巨像を見て、引き返す。その先は閉鎖中なのである。時間も無いので最後にハンラビ法典を見ようとしたが、たどり着かず引き返す。よく地図を見たら、奥の進んだ反対方向にあったらしい。 まずは集合場所へ戻ろう。コート預かり場所でコートをもらい、逆ピラミッドへ。 非常に疲れた。時間に制約があるのもそうだが、美術館はずっと立ってみるので疲れるものだ。 レストランでチキンとご飯を食べ、ぐっと元気になる。 これからはオプションになるので、幸いにも私たちはOPに参加するのでそのままバスに乗って移動するだけである。 セーヌ川に沿って、ダイアナ妃が事故で亡くなった場所を通過した。そしてパリ郊外のベルサイユ宮殿へ。 宮殿も休日なので無料である、オプションなので入場料が返却された金額ですむ。 ベルサイユ宮殿の向かいに立派な建物がある。それはなんと上から見ると馬蹄形になっている馬の宿舎だとのこと。人も羨まれるほど立派である。 宮殿はギュウギュウ詰めである。絵画、装飾品は一級品揃いで金ぴかである。この人ごみから早く脱出しようと足早に回る。マリーアントワネットの寝室を覗いて、裏庭に出る。 やっと開放されてホッとする。庭園の池には水がない。工事中らしい。 建物の土台に座って休憩した。そのうち寒いので駐車場へ戻る。途中、ツアーの男子学生とすれ違う。電車できたらしい。 パリ市内へ戻り、オペラ座で解散。これからが大変。どうやって時間をつぶすかである。本日は休日なのでお店は閉まっている。はっきりした目的も無いので、地図を広げ考える。サンラザール駅へ行こう。往復すれば多少時間つぶしになるだろう。 二人でぶらぶら歩く。ちょっと路地を遠回りして歩いたら、アウトレットの店が開いていた。のぞいて見よう。革製品が多い。うまい具合に妻が気に入った手提げカバンを見つける。ユーロも使い切れないので多少使ったほうがよいと思い買うことにした。赤いおしゃれなバッグで妻のお土産になった。 また外に出て、駅へ向かう。駅舎はいろいろの肌の人が多い。やや怖い感じもする。有料トイレがあるので妻に経験してもらうのも一計である。50セントを払って、すっきりして戻ってきた。 ここの駅舎の構造がユーロスターで到着したノード駅にそっくりだったので、ここが先日われわれが到着した駅だと思ってしまった。後でFUKEさんに聞いたら違った。 駅の地下ショッピング(店はしまっている)のベンチで休憩して、オペラ座へ戻る。陽が沈み寒さが身にしみた。 皆さんが自由行動から戻ってきた。バスに乗り込んでレストランへ移動する。 2階へ上がり、お目当てのエスカルゴを食べる。 さあ~ヨーロッパ最後の夜となる。 帰りの支度と明日の自由行動を何をするか検討する。 地下鉄でモンマルトの丘へ行くことにした。

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正則の山行記録2/ロンドン・パリ編 4日目

3月2日(土)朝食はバイキングで私は2種類のハムとチーズ、クロワッサンのパン2個、ヨーグルトと果物そしてコーヒーである。ロンドンのホテルとは大違いである。 SATOMIさんも来ていて、モンサンミッシェルまで案内をしてくれる。 皆さん防寒具をしっかり身につけて、出発。シャトルバスでお城が益々大きく見えてきた。今はシャトルバス専用道路が出来、モンサンミッシェルの満潮、引き潮が不自然な状態になり、潮の流れに異変が生じているらしい。道路を取り除き、橋を渡すらしい。その工事の進行中である。 曇天の空であるが、天空にミカエルの像が尖塔の天辺に何かを啓示してようだ。 度迫力のお城である。SATOMIさんに記念写真を撮ってもらう。 島の入口にFUKEさん一行が待っていた。ここまでの案内役のSATOMIさんと別れ、地元のフランス人の方が案内役である。我々はお城へ侵入する。みやげ物屋が階段に沿って、軒を連ねている。帰りはしっかり土産を買おう。 所々、案内役の方の通訳をFUKEさんがしてくれる。急な階段なので足元をしっかり見つめて歩く。団体さんは他に2組いた。日本人である。どうも日本人に好評らしい。その団体さんと前後しながら、建物へ入る。 ぐるぐる回廊を回って、展望台に出る。周りの景色は海と川の三角州に囲まれた要塞である。ここに教会が立てられた当時、周りは森でここに岩山が立っていたとか。7世紀に地元の司教のオベールの夢の中にミカエル(旧約聖書に出てくる天使)からトンブ山に教会を建てろといわれるが、ただの夢だと思い、そのままにしていた。3回目の夢でミカエルの怒りに触れ、翌朝オベールの額に穴が開いていた。オベールは恐れ入り、早速岩山に教会を建てたという伝説。 その後歴史を刻み、カトリック教の聖地となり、多くの人がお参りにきたらしい。但し、潮の満ち引きが急で多くの巡礼者が犠牲にもなっていた。英仏100年戦争でも堅牢なお城は守られた。がフランス革命でここの聖職者は地元の人に捕らえられ、難攻不落の城も始めて陥落したのである。その後監獄に変わったものの、教会として復帰し、世界遺産に登録された。 というのが大筋の案内の内容である。こまごまとたくさんの説明があるが、省略。 一通り見学して下りてきた。さあ~てとお土産を買わなくては。坂の途中のお店に入り、カップなどを買う。最後は入口近くでここの名物のビスケットを纏め買いした。 シャトルバスで陸側に上がり、レストランに。モンサンミッシェルのフワッとした名物のオムレツを食べる。 これからは一路パリへ戻る。二度サービスエリアでトイレ休憩をする。 パリ市内に入る。6時30分頃にレストランで威勢のよいウェイターに迎えられた。ビールを飲んでほどほど気持ちよくなる。9時頃にホテルに着いた。ここのエレベーターも最新ではない。スーツケースを押して5階の部屋へ。 ロンドンのホテルよりは良い。そこそこ遅いのであるが、明日の行動準備をしないといけない。結局寝る時間は11時頃になってしまった。

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正則の山行記録2/ロンドン・パリ編 3日目

3月1日(金)枕に1ポンドを置き、食堂へ。今日は妻に申し訳ないので、5ポンドを用意して渡した。イギリスでまともに朝食が出来なかったと言われるのもみじめである。ハムとソーセージと玉子焼きを皿に載せて笑顔でテーブルに着いた。これでイギリスに未練を残さずにすんだ。 駅に着くと、お昼のお弁当が支給された。出国手続きを済ませ、休憩室で時間調整である。電光掲示板に9時17分発、パリ行きの表示あり。女子学生が具合が悪くなったようだ。皆で心配する。グループに看護士の女性が居たので様子を見てもらう。やや青い顔をしているが列車に乗るしかない。彼女のカバンを押して、車両前後の荷物置き場の棚に押し込んだ。 念願のユーロスターである。ドーバー海峡を渡るので子供のようにはしゃぎたくなるのを我慢して座席につく。 列車は何の前触れも無く静かに動き出した。いよいよヨーロッパ大陸に上陸する。イギリスの風景に目をやりながら、おそらく海へと向かっているのだろう。 海底に入るといっても列車の中なのでどう見てもドーバー海峡を潜っているという確認するものは無い。トンネルに入れば、真っ暗で何も分からないので残念。イギリス領内ではアナウンスが最初英語で喋っていたが、フランス領に入るとフランス語からアナウンスする。もちろん車掌さんの声もイギリス人からフランス人に変わっているのだ。 トンネルを抜けるとフランスの田舎風景が出てくる。そんな風景見ながら、お弁当を出して食べる。ホテルの朝食よりずっと良い。サンドウィッチ、りんご、パイ菓子、お菓子が2種類、ペットボトルが入っている。全部食べきれない。お菓子類は全部残し、りんごは1個を二人で分けて食べた。外国人乗客はビュッフエへ足げく通っていた。 12時50分頃にロード駅に到着。スーツケースを出すのにちょっと苦労である。 全員下車するも例の女子学生はまだ気分が悪そうである。彼女がトイレに行っている間、駅構内の外れで待機する。 彼女が戻ってきたので、バスへ移動する。 パリから高速道路に乗り、一路オンフルールへ向かう。途中、サービスエリアにより、トイレ休憩。30分ぐらい休む。妻はみやげ物探しである。チョコレート風味の飴を見つける。これはいける。帰りもサービスエリアで纏め買いすることになった。 福家バスガイドがノルマンディの話を詳しくされた。フランス国も同意して北方民族のバイキング・ノルマン人がここに外敵を守る役割も兼ねて移住したらしい。ノルマンディ公爵として手厚く厚遇されたのである。イギリスとの100年戦争もここから始まるのである。そして終止符を打つのがジャンヌダルクである。戦争で劣勢のフランス軍を率いてあれよあれよと勝ち進んだらしい。フランスの王も和解を申し入れ、ジャンヌダルクはイギリスの捕虜となり、ルーアンという町で火あぶりの刑に処された。フランスの英雄はフランスから見捨てられたのである。 可哀想な少女だ。 話に夢中になっているうちにオンフルールに到着。オンフルールはセーヌ川の大西洋の河口である。昔の港町だったそうで現在は大西洋岸に大型船が停泊できる港が出来て、今はヨットハーバーとなっている。木造建築の教会がある。戦争で荒廃した町を船大工が作ったとのこと。教会を見学してから、お土産やにより、かわいい小鉢とスプーンを4個買う。 あまりゆっくり出来ないので急いでバスへ戻る。波止場のトイレは大分手入れがされていないらしい。女性トイレが1箇所しか使ええず、他は故障中だそうだ。女性軍は順番待ちで大変である。 バスに乗り込み、また高速道路に乗り、モンサンミッシェルへ向かう。牧場が多い。高速を下りると回りは暗くなっていた。8時45分。ホテルに到着。 我々のグループは二つに分かれた。島のホテルと陸のホテルだ。我々は陸のホテルでスーツケースを降ろす。島の一団はバスにスーツケースを残し、一泊分の着替え等をもって、移動していった。我々には背の高い美人のフランス在住の日本人のSATOMIさんが世話をしてくれた。彼女はフランス語がペラペラである。なんとたのもしい付添い人だ。 部屋の前にスーツケースが運ばれていた。部屋に入っても今までの欧州のホテルと違って、日本のホテルとさほど変わらない感じだ。水周りもしっかりしていた。FUKEさんに脅されていたが、立派な居住空間である。窓からモンサンミッシェルを覗くと暗闇にお城の明かりがうっすらと浮かびあがっていた。写真に撮るがきれいには取れなかった。 夕食は流山夫婦、女子学生3名、私たち夫婦である。不調の彼女もどうやら元気らしい。ロンドンのホテルと違い、格段と優雅に過ごせた。飲み物はSATOMIさんが皆さんの要望をまとめて注文してくれた。

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正則の山行記録2/ロンドン・パリ編 2日目

2月28日(木) 寝付かれない一夜が明けた。5時前から目が覚めた。まだ暗いし、早朝の散歩も日本と違うので止める。本日のスケジュールを確認することにした。昼食までは団体行動なので心配はないが、夕食までのフリー時間をどう過ごすかが問題。地下鉄でロンドン塔へ行き、タワーブリッジでテムズ川を渡ることにしよう。 私は洗面と用も足せた。私の健康のバロメーターは朝排便をすること。外国の第1歩は順調らしい。妻はやや不安残しながらも元気そうだ。 朝食はアメリカン方式のバイキングである。これが問題。パンと飲み物、果物しかない。「こんな朝食なんてあり」という感じ。妻はそのことをすっかり忘れ、有料コーナー(5ポンド)へ行ってハムをすくったところ、従業員に何か言われたらしい。それに気がついた妻は取ったものを返却した。そのカウンターの上に5ポンドと表示されている。 たしかに他のテーブルにいる外国人も質素な食事をしていた。二人で食事をするも妻のご機嫌を取るのも大変である。 部屋に戻り、外出の用意をして1階ロビーに集合。  気持ちを切り替えて、バスに乗る。寒いロンドンの町が始まる。出勤途上の人たちが忙しく活動している。頭に防具ヘルメットを被った自転車通勤の人も多い。 どの道を走っているか分からないがテムズ川を渡り、国会議事堂を目指した。ビックベンの前のローターリーを2周してくれた。というのもビックベンの鐘を聞くため、本日の案内役のKOBAYASHIさんが運転手さんに指示していた。丁度9時になるのにちょっと早すぎたので余計にロータリーを回ったのである。バスの中から何回もビックベンの鐘の響きを聞いた。ウェストミンスター寺院近くで車から降りて、記念撮影をする。国会記事堂のロータリーでも撮影する。 今日はKOBAYASHIさんの粋な計らいでバッキンガム宮殿も案内してくれた。ラッキーである。予定表には無いので自由時間で見ようと思っていたので、その分が省けた形になった。 バッキンガム宮殿手前で降車し、すこし歩く。宮殿の中には入れないが、鉄格子から衛兵が足踏みしている光景が見られた。 そのうち着飾った親子が出没する。KOBAYASHIさんの話では国に貢献した人たちが呼ばれて、女王様に拝謁できるそうな。女性は帽子を被り、貴族風の身なりである。中には軍人の人も居て、勲章らしきものが胸にぶら下がっていた。門で厳重にチェックされて宮殿に入っていく。 バスも長く駐車できないので戻る。馬車が何台か通り過ぎる。御者しか乗っていないので残念である。日常の訓練なのかも。 バスは宿泊のホテルへ戻る形になる。大英博物館へ。今回のメインでもある。案内人のKOBAYASHIさんからすっぱく泥棒に気をつけてくださいと言われた。カバンは肩から提げて、身体の前に抱える格好でと。もちろんザックも前に子供を抱えるようにして。私のザックには捕られて困るものは無いのであるが、KOBAYASHIさんの熱弁に逆らえないので、一応抱えた。大事なものはポシェットで腹に巻かれています。 現地の方の言うことは一番。 私がこの博物館に来たいというのは世界三大博物館のひとつだからである。中にある秘蔵の品々は貴重なものであるが私の頭ではやや理解するには困難すぎる。 ロゼッターやギリシャ彫刻とエジプト彫刻、ミイラ、アンデスの墳墓から見つかった王族の宝などを見た。歴史の興味のある人には絶対見逃せないものがいっぱいあるのである。ここで世界中の歴史を垣間見られるので貴重な場所である。でも本当は現場に行って古い歴史に触れられればもっと最高、ハッピーではあるが。 KOBAYASHIさんの名ガイドで通常何日もかかって見るべきものをハイライトで見させて頂いたおかげで腰痛も無く助かった。それにしても小林さんの案内ぶりは1級品である。よく頭に年号から歴史背景まで入っているものだと感心した。 一見ただのおばさんに見えますが、相当勉強されていることでしょう。 あっという間に午前中が過ぎ、ランチになる。 狭い路地に入り、2階のレストランへ。飲み物はまたハイネケン。今度は足を運ばなくてもウェイターの方が持ってきてくれる。流山御夫妻とお知り合いになり、段々ツアーの方たちとコミュニケーションが取れてきた。 その後は三越で解散。FUKEさんはロンドン塔へ行き、テムズ川の遊覧船に乗るとのこと。私たちも便乗して途中まで連れて行ってもらう。なにせロンドンの地下鉄は初めてなので。1日券の切符を買い、ピカデリーから乗り、途中乗り換えて、タワーヒルで下車。FUKEさんの一団と別れ、ロンドン塔の前を通り、ロンドンブリッジへ。妻は私にお任せなので、ただ付いて来るのですが、寒いらしくゆっくり歩いて楽しむ気分に慣れそうではない。ちょっと早めに行動をとることに。 ブリッジを渡る前の階段で白人の人がカメラを差し出してきたので、人を見たら泥棒と思えという言葉を思い出し、「No、thanks you」と咄嗟に言ってしまった。そのおじさんもきょとんとしていました。そしたら妻が写真を取ってくれと言っているのだよというのでやっと私も理解した。なにやら家族らしい人が石段でみんな並んで待っているではないか。「OK」といいながら、片手を差し伸べて「了解したよ!」と意味を含めて笑いを浮かべて快くシャッターを押した。まさか外人に呼び止められるとは思わなかった。 タワーブリッジに上がり、通り過ぎる船を見ながら寒い寒いといいながら渡りきった。対岸に出て、30分くらい歩き、停泊しているベルファストという艦船を横に見てロンドンブリッジ駅へ。寒さから開放されホッとする。 グリーンパーク駅で下車。集合する三越にはまだ時間が余るのでテクテク、ビカデリー駅まで歩くことにした。ウィンドーを覗きながら歩くが、あっという間にビカデリー駅辺りに着いた。三越の向かいにスーパー(TESCO)があり、妻が入ってみようというので店内へ。お土産になるものがあるかなとやや心配する。妻は根気よく見て回る。ロンドンの菓子を数点買う。三越にきたもののまだツアーの面々は来ていない。結局、イギリスのお土産はここで大量に買い込むことになった。孫のお人形(宮殿の兵隊さん)と紅茶などである。 それでも時間が余り、隣の飲食店でお茶のペットボトルを買い、外の椅子に腰掛ける。最初は良かったが段々寒くなり、また三越に入って時間つぶしをする。  そのうちちらほらツアーの皆さんが集まりだした。 午後6時25分、全員集まったのを確認し、バスに乗り込む。どこを進んでいるのか分からないが、夕食するパブレストラン近くで降ろされた。しばし歩き、やっとパブレストランにつくが、店内は満員御礼。お客は狭い場所で立ち飲みしている。満員電車で会話しながらアルコールを飲んでいるのと同じだ。こんな落ち着かない場所で食事が出来るかなと不安である。白人女性から何か声をかけられたが何を言っているのか分からない。こちらは首をかしげて返事できずじまいである。どうやらFUKEさんと従業員スタッフと話がついたのか、地下へ移動した。団体客が帰って、我々が落ち着く場所ができてひと安心。 またアルコールはカウンターへ行き、現金引換えでビールを2杯もらってきた。毎日ビールが飲めて幸せである。メニューはローストビーフ。いつも写真に収めるのだがすっかり忘れていた。 バスの送迎でホテルに。シャワーを浴びて、明日の用意である。明日はおフランスだ。ユーロスターに乗れるので楽しみだ。

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正則の山行記録2/ロンドン・パリ編 1日目

目的地:ロンドン、パリ、モンサンミシェルの旅、 日程:平成25年2月27日~3月5日、 メンバー:妻と私(ツアーにて) 2月27日(水) 5時に起床。二男夫婦が見送りに来るので助かる。7時に我が家を出発する予定だったが、早めに6時30分に来た。彼の新車の軽自動車にスーツケース2台を後部座席に乗せても楽勝である。  雨か小雪の天気予報だったが、小雨模様で雪にならずラッキーである。  8時過ぎに成田空港第2ビルに到着。このツアーの一番乗りらしい。団体の受付を済ませ、スーツケースも窓口に預けて、イギリス・ポンドと欧州・ユーロの両替をする。  妻がおにぎりを食べたいと言うので、私も参加して寿司やのお稲荷さんを二人で分けて食べる。 団体集合時刻9時45分に集まり、ツアーコンダクターのFUKEさんが点呼を取る。その後各自で入国手続きとなる。  成田・ロンドン間プレミアムシート付でグレードアップした座席である。座席は後部の右側である。座席の予約はパソコンでオンライン搭乗券を出力。慣れない予約方法である。私たちのイメージは団体なのでツアー会社が全部手配するものとばかり思っていた。もちろん座席に拘らない人は当日、空港に来てでも良いらしい。  今回は何といっても長距離のフライトである。妻にしてみれば始めての欧州でもあり、12時間の飛行に耐えてもらわなければならない。  機体は777-300。満席であり、会社としては有難いことである。定刻の11時45分をやや遅れて出発。 座席のモニターを開き、どこを飛行するのか興味津々である。越後三山の上空から日本海を渡り、ロシアのシベリアへ向かう。妻とあそこがどうだとか話している間に食事になった。ビールを飲みたいのをこらえてオレンジジュースで我慢。妻は飲み物を取らない。12時間のフライトなのでおしっこを控えるためである。  「釣りばか日誌」をみても時間はまだまだたっぷりある。日本の歌を聴きながら、時間をつぶす。 窓際にいる妻はツンドラ地帯の真っ白な世界を見下ろしているが少々飽きてきているようだ。画面に映るルートを確認しているうちに、バルト海に出てきた。どうやらヘルシンキ上空に来たらしい。白銀の世界から雲に覆われた青い海が見え、やっと欧州に入り、もう直ぐロンドンに着きそうだ。 時計も9時間遅らせている。長い1日だ。出発した日が27日のお昼、ロンドン・ヒースロー空港についた時刻が27日の午後3時である。 広い空港内をFUKEさんの後ろに従い、長い通路を歩き、税関を通り向けて玄関口に出た。外は寒い。迎えのバスが来て、ホテルへ直行。FUKEさんから欧州のホテルは建物がふるいので部屋の施設も良いとはいえないと言われる。特に水周りが悪いのでお風呂は満足に入れないかも。せめてもシャワーを使えれば満足かな。特にモンサンミッシェルは地方なので劣悪なホテルらしい。日本でいう民宿を想像してしまった。 市内に入るにつれ、胸がワクワクする。憧れのロンドンである。誇り高きイギリスの国である。町並みも赤茶けた壁の古い建物が目に付いた。ホテルの中庭に到着。ロイヤルナショナルホテルで地理的に大英博物館の近くらしい。市外地域でなく、よいロケーションである。 チェックインするのに現住所に郵便番号が入っていないと書き直される。 厳格なロンドンかな。 私たちは7階の部屋である。エレベーターはミシミシ音を立てる。シンドラー製ではなさそうだ。部屋数は相当あるようだ。 部屋に入り、お風呂を点検。まずシャワーが使えるのだろうか。バスタブの蛇口からシャワーの切替が出来ない。FUKEさんを呼んで調べてもらう。かなり力を入れると切り替えられた。と思ったら、今度はシャワーの継ぎ目から水が漏れ出してきた。このまま使っていれば止まるでしょうとのこと。車中、FUKEさんの説明どおりである。欧州の古いホテルはこんなものかと渋々納得する。 明日からの観光を控え、準備する。夕食まで時間があるので1階の売店を覗く。お土産の目途をつける。そしてホテルの向かいにある小さなスーパーマッケットで飲み物を買った。商品の価格表を見て、ポンド紙幣を出す。大した会話もせず、どきどきしながら無事買物が出来た。小銭も出来て枕銭も確保した。外国へ解き放された第一歩である。 夕食は皆揃って、1階の食堂へ。今回のツアーは全部食事付である。但し飲み物は別。早速FUKEさんからドリンクの買い方を教わる。アルコールはバー兼用の窓口でビール「ハイネケン」を注文する。現金と引き換えである。日本の国民宿舎と同じだ。気の利いた国民宿舎ならウェイターが持ってきてくれるのだが。やや面倒くさい。妻の分もこぼさない様にテーブルまで運ぶ。やっと満足に落ち着いてビールが飲める。一緒に同席した彼女たちと乾杯した。彼女達は大学1年生なので未成年。ジュースとビールで乾杯。初めてツアー仲間とゆっくり会話ができる。私も大学4年のときに欧州を旅行したが、1年生の彼女達の勇気には敬服した。和気藹々と夕食は楽しく済んだ。

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正則の山行記録2<北海道編>

義父の法要と道東の旅 10月12日 早朝、朝一番の新京成で京成津田沼駅へ。バスで羽田空港に到着。我々は早めに搭乗手続きしなければならない。JL1151便8時発がうまく取れた。問題は帰りである。まあ~運に任せよう。 天候に恵まれ、日高山脈を見下ろして、十勝平野の広い畑はパッチワークの図柄である。北海道の広さを間じかに感じる。帯広空港に着いた。連絡もよく、市内のバスに乗れる。息子達は次の便で来るので我々は市内で時間調整をしなければならない。まずは宿泊地のJRイン帯広へ行き、荷物を預ける。

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フロントで情報を得て、市内見物。まずは藤丸デパートへ行った。がお休み。向かい側にある六花亭に入る。来たばかりなのにもうお土産の心配をする。お菓子にも温度管理の必要な物があるので、レンタカーに乗せっぱなしはよくない。配送が良いと判断。色々品定めをする。結局、亮、圭達もここへ来ることになるのでその時にまとめて買うことにした。 次に吟寿司のお店を探す。夕食はおいしい牛トロを食べる予定なのだが。京子の記憶で探したが見つからず。(実は店の前を通り過ぎていた)駅へ行った。観光案内所(駅の2階)のおねいさんが親身になって教えてくれた。市内パンフレットをもらい、印をつける。確かにこの前を通ったはずなのだがと頭を捻る。まあもう一度行けば分かるだろう。 次は長崎屋へ。腹が減っては動けない。3階の大衆食堂へ入り、私はちゃんぽんを食べる。 長崎屋の2階にある、妻ご用達の水産会社へ。店は工事中であり、且つ縮小されていた。妻は塩沢さんから頼まれたサキイカを大量に買い込む。我が家は氷下(こまい)を買い込む。 もう荷物で大変。駅へ向かい、亮たちが2時40分頃にバスターミナルに到着するので待合室で時間潰しをする。 私は疲れきっているので、ベンチでじっと座っていた。 バスターミナルで息子達一向を迎える。亜希子もバスから危なっかしそうに降りてきた。とりあえず、ホテルでチェックイン。それぞれ荷物を置き、皆で長崎屋の水産会社へ。 部屋に戻り、今度は六花亭へ行き、みやげ物を我が家へ配送手続きをした。雨が本格的に降ってきた。おばあちゃんの所へ行き、挨拶とお土産を置いてくる。タクシーでまたホテルに戻る。 吟寿司へ向かう。ホテルから予約していたので安心。お店には私が先頭で入る。京子も最後に入店して久しぶりの再会のあいさつを交わす。 牛トロは絶品だ。皆でおいしさに喜びの声で部屋中は盛り上がる。 2時間ほどでお開きして、妻もご主人に惜しみない別れを告げてホテルへ。 ああ疲れた!2階のお風呂に入り、すぐ寝た。 10月13日  帯広駅前の朝日を拝む。帯広もすっかり都会風である。ビルの隙間からまぶしい太陽を浴びる。 10時30分におばあちゃんの家に行けばよい。息子達もすっかり寝坊を決め付けていた。  我々は朝食を済ませ、荷造りを済ませる。圭達も起きてきたので、彼らは歩いていくと言い出した。それなら私も歩いていこうと決める。亮たちは亜希子がいるのでタクシーであとから来いということで早めに我々は歩いて出かける。  途中で亮のタクシーに追い抜かれる。 既にあーちゃんたちも着ていた。 A氏とB氏とそれぞれあいさつを交わす。狭い部屋は大賑わい。  11時にお坊さんがお経をあげてくれた。お坊さんが帰った後で、お弁当を食べる。 十勝川温泉のお迎えのバスが3時に来る。時間が空くのでおじいちゃんの眠っているお寺へ散歩がてら我が家と塩沢家で出かける。帯広川を渡って20分くらいである。  Bさんは犬の世話で遅れてくるのであとの人は全員、マイクロバスに乗り込む。観月苑に着いた。店内で記念撮影する。その後それぞれの部屋へ分散。 宴会まで時間があるので川へ降りる。私はすぐ引き返し、温泉へ浸る。 1階の広間で宴会が始まる。となりの部屋からはカラオケの大音響。おばあちゃんの短いあいさつで乾杯。アルコールが入るとそれぞれ皆さんの動きがバラバラに。亜希子も部屋の庭園で石いじりが始まった。そうこうしているうちに3時間も経ってしまった。部屋つきの女中も大変でした。ご迷惑をかけました。 私たちは部屋へ戻るともうぐっすり寝込んでしまった。 10月14日

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 大平原ホテルから熱気球2基が飛び立った。朝の十勝川温泉の見物のひとつらしい。  塩沢氏と亮と私は金場さんの車で帯広駅へ。レンタカーを借りて旅館へ戻る。  おばあちゃんとB子さんとA夫妻に別れを告げ、吾ら3台の車は一路、阿寒湖へ向かう。  天候の良い、平原から山中へ。高速道路から足寄の道の駅で休憩。松山千春の写真入り像がある。館内は駅車風に作られていて、子供受けする所だ。 阿寒湖の町に入り、湖畔の有料駐車場に。湖面には雄阿寒岳がきれいに浮かぶ。駐車場からもらった割引店で食事をすることに。1件目ではやる気がないのか断られてしまった。戻ってきて、船着場のお店の2階に入る。 長い道中になるので次は弟子屈の相撲館(名横綱大鵬の故郷)へ寄りたいが時間も余り余裕がないのでカットして、摩周湖へ。第1展望台は有料駐車場になっていたのでパスして、第3展望台へ。正解である。火口の小尾根を登ると霧のない摩周湖が眼下に。そして向かいのとがった山が際立って見える。残念にも私のカメラが電池切れとなる。

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 摩周湖を堪能して、来た道を戻り、今度はパイロット街道を一路、根室へ向かう。 これがまた長い。信号がなく、真直ぐ。途中牧場特有のにおいも。別海町あたりのコンビニで休憩。 スワン44根室の道の駅で休憩する。今日は納沙布岬まで行く予定。だが根室に着く頃には暗くなりそうだ。そのまま民宿ときわに向かう。  民宿ときわは工事関係者が長期宿泊しているようだ。夕食はテーブルに載り切れないほどの料理。花咲ガニがメインだが、それでも他の料理は食べきれない。りんちゃんは殆ど食べていない。亜希子がうるさいのでゆっくり食事が出来ないのである。(工事関係者は普通メニュー)6300円でこんなにサービスされるとはラッキー。

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食後、根室駅まで散策に。真っ暗な駅舎には誰も居ない。まだ最終列車が終っていないにも関わらず。改札からホームに出る。そのホームも1本だけである。根室本線の終着駅で北海道最果ての駅である。淋しいところだ。(日本最東端の駅はひとつ手前の東根室駅である)  駅前には花咲ガニの販売所が多い。日中はまた風景が違うのかもしれない。  宿に戻り、妻と一緒に風呂に入る。熱いお風呂である。妻が入っているので私も我慢して入る。 10月15日  天気予報どおり、雨である。全体からすればほぼ天候に恵まれた方である。帯広、十勝川温泉、摩周湖は晴れだった。  7時にそれぞれ食事をする。8時に出発。圭達の部屋は2階の宿泊者がうるさくて眠れなかったそうだ。後日、民宿からお詫びのハガキが届いた。誰かが苦情のアンケートを書いたのでその返事がきたらしい。大事なことである。民宿の人が知らないままでは今後の経営にも禍根を残すことになる。店の為にも必要なアンケートであると思う。  民宿のご主人に別れを告げ最果ての納沙布岬へ。30分ほどで着いたが、雨が降り止まない。灯台の前で車中から写真取りしていたら、Cさんがタオルを頭に巻いて灯台にまっしぐら。そのあとを圭も真似て走っていった。なら我々も亮と私も真似て灯台へ。

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ネズミ小僧姿の写真を撮りもれた。残念。  岬の売店に寄り、休憩をする。無愛想な男性がレジで突っ立っていた。余り感じの良いものではない。私は亜希子の世話役でお店の商品を悪戯しないように一緒にくっついて回る。皆さんがそれぞれの思い出のお土産を買えればそれでいいのだ。 9時を回り、飛行機の早便組みと最終便に分かれる。私と妻とみどりさんは早便。予約をしていないので、早めに行って手続きをするのである。満席なら搭乗不可となる。乗れるか乗れないかは「神のみぞ知る」である。リスクがあるが安いのでしょうがないのである。  我々1台は来た道と反対側を回る。あとの2台は夜のフライトなのでゆっくりしながら釧路の市場で食事をするとか。 お互いの行動を携帯電話でチェックしながら、行動を進める。  来たときの道の駅でトイレ休憩をする。 そのあとは根室本線と平行して進む。彼らも我々が出た後で例の道の駅へ寄ったらしい。 根室市内で満タンにし、釧路湿原道路を走り、午後12時30分頃に空港のトヨタレンターに車を返す。キャシュバックがあってよかった。 みどりさんに券売機の手続きを手伝ってもらい、無事搭乗できそうだ。 満席ながらセーフらしい。 2階のレストランで食事。みどりさんはえびカレー。小さいえびだと思ったら、大きなえびが2匹。さすが漁港の町釧路であると皆で感激の感想である。

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定刻15時15分発、MD90、JL1146便。となりのデッキには札幌行きのANAのプロペラ機である。 満席の飛行機である。とてもいいことである。低迷する航空業界も頑張らなくては。 羽田に着き、夕食も早めに取って帰った。 私は明日早いので亮たちを待たずに寝た。 妻は彼らの帰宅を待っていた。 りんちゃんが羽田で気分を悪くして吐いたらしい。が帰宅したら食欲が出て回復したとか。 10月16日 亮たちは津田沼で夕食。私と妻で夕食する。 10月17日 私は遅番なので妻と亮たちを成田へ送る。空港内でNAAの仕事をしている田中さんと小林さんにばったり会った。皆さん元気そうである。空港で昼食し、私は妻を置いて、亮一家と別れる。 みなさんお疲れ様でした。

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正則の山行記録2・上海編

目的地:上海(孫の顔を見に)/ 実施日:平成22年2月16日~19日/ メンバー:妻と私

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2月16日 JL791便はガラガラである。会社更生法で実質日本航空は潰れた。国営の航空会社になった。それにしてもこの乗客の少なさは赤字会社を物語るものである。 今朝、我が家を5時10分頃に出てきた。妻と荷物を旅客ターミナルに置いて、私は整備場に車を置いてとんぼ返り。一番のバスでターミナルに着いた。7時40分の集合であるが、1時間も早く着いてしまった。<省略> 成田を9時45分に経ち、現地に12時20分着の予定である。座席は右側55番と56番である。この座席も3日前にWEBチェックインで座席を予約したのである。本当にこのご時勢は電子革命による世の中になってきたものだと感心と困惑で複雑な心境である。 私は窓際で海しか見えないのに下を眺める。妻はラジオを聞いておとなしくしている。後ろの座席は最後尾に5人の男性が居るだけで空席(主翼の後ろの中央と左席は誰も居ない)になっている。 ランチは和食。缶ビール1本もらってご機嫌である。 12時20分に空港に到着。前回来たスポットと同じだ。長い通路を歩き、入国検査と税関もスムーズに通過。 入国ロービーは前回と比べ、静かである。柱に赤い服を着た女性がいた。おそらく迎えの担当者だろう。向こうでもそれとなく分かったようだ。こちらに近づいてきて、たどたどしい日本語で「○○さんですか」と聞かれた。私はうなずいた。4人組みを確認して、女性の添乗員は「もう一組が着ますので待ってください」といった。ホテルまでどのくらいかかりますかと聞く。約1時間です。 飛行機の一番後ろに居た2人がやってきた。ひとりの男性はやたらと英語で話しかけていた。日本語が通じるのに変な日本人だと思った。 3階へエレベーターで上がり、古くさいマイクロバスに乗り込む。荷物も座席に載せて。 私の耳が気圧に対応できずにパカ、パカ~いっている。治ればいいのだが。 高速道路は快調である。途中リニアモーターカーに抜かれた。道は空いている。春節のせいだろうか。しばらくし、大都会のビル群の建物に吸い込まれていった。さすがホテルオークラである。門から入ると正面ロビーの前まで車が入る。建物の前には広い公園があり、ビルディングホテルとはちょっと味が違うぞと思わせる。私は田舎者であるが、息子のおかげで名のあるホテルに泊まることが出来る。前回は蘇州のシャングリラだった。 今回は日本のオークラにも泊まった事がないのにと五ツ星のホテルに泊まる。なにか貧乏人が錯覚するのである。リッチになったものだと。 女性添乗員さんがフロントで手続きをしている。同乗の男性2名は車で待機中である。ここが済まないと次のホテルへ移動できないからだ。ちょっと時間がかかったが、「帰りの19日は11時にこのフロントで待っていてください」と言われて。添乗員さんと分かれた。 カードキーをひとり1枚ずつ預かり、17階へ。時計の針を現地時間にあわせ、ほっと一息する。3時に息子がロビーに向かいに来るので、あまりゆっくりとしてはいられない。私は段々耳が痛くなり、歯茎が痛くなる。このままおとなしくホテルにいた方がいいのかと少し悩む。でも身体を動かしていた方が気が楽なのでみんなと行動を共にする。 3時前に1階のフロントへ。亮が立って待っていた。まずは安心である。再会の喜びをして、市内へ行く前に円を元に変えなくては。亮にお願いして、6万円を両替してもらった。日本語でも通じるのだが、彼が中国語で喋っている姿を見ると不思議と安心するのである。私のみやげ物が入ったザックを丸ごと亮に渡す。 ホテルの近くに地下鉄の駅がある。峡西南路(1号線)駅である。彼の後ろをはぐれないようにくっついて歩く。私は大体の亮の住まいまでの交通機関を調べていたので、何処で乗り換えていくかは頭に入っていた。でも逸れたら厄介である。地下鉄は1号から8号線という表示なので日本と違って分かり易い。切符売り場は自動販売機があるが、台数が少ないようだ。息子がまとめて買ってくれる。一人ひとりカードを受け取り、自動改札口を通る。どうもこのカードは回収後も再利用するらしい。よって使い切りの切符はないらしい。お土産代わりに持参したい所だが、カードはあまり衛生上良くないのでやめよう。 人民広場はまたまた人だらけである。2号線に乗り換えるのにも大変だ。車両はドイツ製らしい。座席は日本のベンチシートと同じである。こちらの公共の乗り物はほとんど雑に出来ている。布張りシートは皆無。簡素といえばそうだが、ベンチの食べ物の袋など捨てられている。公共マナーは悪い。 上海科技館駅に着いた。大きな建物の前を通り、駄々広い歩道を歩く。日本人向けのスーパーによる。私は相変わらず不調である。建物の前で据わって待っていた。 マンション群の中をずっと歩く。車両の出入口は若いガードマンが物々しくたっている。我々は車の入口脇から入る。20メートルほど右折する。マンションの1階らしい。りんちゃんが顔を出した。元気そうだ。 早速部屋に入り、孫とご対面である。生まれてから、22日目である。かわいい赤ちゃんである。目が丸い。きっと美人になるぞ!でも孫が二十歳になるまで我々も元気でいられるかな。なんて先のことまで考えている。余り遅くなるのもいけないので、我々もホテルへ帰ることにした。でも亮がいないと帰れないので、送って貰う。峡西南路駅に戻る。さて何処で食事しようかと悩む。 ホテルを過ぎて真直ぐ奥へ進む。店らしい所がない。へんな所に入りこんでしまった。路地の中の迷路という感じ。妖しい所なので出てきた。通りの角にお店があったので入る。甘い上海蟹(今は時期ではないらしい)、色々食卓に並ぶ。私も元気がやっと出てきたらしい。蘇州よりも味加減が全体に甘いようだ。 ホテルで亮と別れ、部屋へ戻る。ああ疲れた。外は町中花火で眠れない。うるさい。カーテンを閉めても至る所で無秩序に打ち上げられているようだ。ヤレヤレ。 2月17日 耳の薬を飲む。1階のバイキングで元気が出る。きようはどこへいこうか。妻は何回か来ているので、私の要望で豫園と魯迅記念館に行くことにした。 フロントで会社の人から2万円を細かくしてくれと頼まれていたので、10元紙幣と20元紙幣に換えてもらった。 今度は豫園までどう行こうか算段。結局ホテルからボックスカーを2時間で借りることにした。割高になるがしょうがない。 豫園は人だらけである。ガイドブックにある薬やと豆やによることにしていた。 また会社から頼まれた薬を求めて入ったが、その薬はなかった。今度は妻たちが春節の飾り物を買うので値切り交渉を楽しんでいた。 豆やは忙しく売れている。ガイドブックで5元が12元になっていた。高いけど10個買った。といっても日本円にしたら安い。 裏通りを歩き、駅まで歩く。南京路歩行街はまた人で一杯。地下の大衆レストランに入ったが席がなかった。諦めて出てくる。世紀大道駅まで行くことにした。 腹が減った。大きな吹き抜けのビルに入った。わけのわからないものを並べて食べる。ビールだけは咽を通る。外に出て、歩くがどこをどう歩いているのか分からない。大きなビルが聳え立っている。 上海一番高いビルに入る。入口には人が行列をなして並んでいた。我々も並ぶ。460メートルも一気に上がるから決して耳にはよくない。でもせっかくここへ来たのだからのぼらにょゃ損損である。最上階まで上がる。テレビ塔を見下ろす格好だ。随分高いな。東京タワーなんか問題じゃないぞ。 腰が痛くなってきた。1階の喫茶店で休憩。そして夕食して帰ることにした。暗くなる。テレビ塔のほうへ向かう。亮の知っている日本料理店へ向かう。ビルに入ったが、店じまいか休みなのか閉まっていた。外に出て、さすらい歩く。伊藤屋という日本人向け?なのか2階建てのレストランがあった。夜景でも見て、ゆっくり食事が出来るのかと期待する。1階に2,3組の客がいた。2階へ上がる。誰もいない。1階に比べ、寒い。窓際からの夜景もよくない。なにより寒いので1階へ戻る。席はほとんど4人席だったが、1箇所6人掛けがあった。中国人のウェイトレスである。たどたどしい日本語だが、色々説明してくれたが、今一よく分からなかった。結局、焼肉食べ放題にする。注文した焼肉を並べ焼き始める。ガスコンロの具合が悪い。ひとりウエイトスがガスコンロの元栓につきっきりで立っている。おかしいなとは思っていた。しょっちゅうガスが止まるのである。息子が「席を変えよう」と言い出して、隣の4人席にイスひとつ持ってきて、移動した。今度は大丈夫だ。最初はすぐ肉が出てきたが、後になったら出が悪くなった。どうも食べ放題も調整されてしまったようである。また亮にホテルまで送ってもらった。 2月18日 さあ今日は午前中、魯迅記念館へ行って、午後は亮のマンションですき焼きである。ホテルで集合して、亮を先頭に出発。地下鉄で人民広場で乗り換え、8号線に乗る。いつのまにか地下から高架線に出て、市内が見渡せる。やや遠く、テレビ塔も見えた。 虹口足球場駅に着いた。人もまばらである。改札口に吉野家がある。さすが日本のチェーン店だなと感心する。道路上の高架橋でスタジアム(サッカー場かな)を渡る。閑散としたスタジアムを半周し、公園に入る。魯迅公園なのだが、記念館が分かりづらい。人が集まって、将棋やら、ダンスをしている。憩いの場所なのだろう。それらしい建物を見つける。入口が分からず、人家(古そうな煉瓦作り2階屋)の道路に出て、遠回りをして入口を発見した。私が魯迅館(江南住宅風の現代博物館)へ行こうといったものだから、私が率先して動き回った。まず、ここを選んだ理由は二つある。ひとつは日本人になじみがある人名である。そしてもうひとつの理由は拝観料が無料なのである。 チケット売り場があり、無料なのにおかしいなと思う。だがそこで、入場券を受け取り、料金は無料であった。監視する人は制服姿のガードマンだ。上海市における社会主義革命的観光地としての位置づけなのである。中は整然とされ、係員が配置されて、綺麗であった。魯迅の人間像も分からず、入った。彼が日本に縁のある文学者程度の知識しかなかった。 日中戦争時の写真があり、やや生臭い所もあった。魯迅が日本で医学の道を志していたことが写真を見てわかった。今の東北大学医学部である。中退し、母国へ帰り、文学に進み、北京大学で教鞭をとりつつ、色々な作品を発表する。中国の封建的な伝統に反対し、左翼作家連盟を上海に作り、国民政府に圧迫されたが、死ぬまで中国解放運動に活躍した人だ。まあ日本に帰って、魯迅の本をじつくり読む事にしよう。 腰が痛くなってきた。2階のトイレ前で1階の中庭にある売店を覗き込みながら休憩をした。 公園の広場はタコ上げを楽しむ人やマイクでカラオケに興じている人と様々である。さあ、お腹も空いてきた。駅へ向かう。駅は若者たちが増えてきているようだ。亮のマンションへ行く前に、昼食にすることにした。適当なレストランがなかったので、吉野屋へ入ることにした。牛丼以外にも色々メニューがある。私は海鮮丼にした。普段、日本にいても吉野家に入ったことがない。妻は初めてだとか。中国風の吉野家もいいもんだ。割引券入り袋をもらう。日本でも通用するとか。とりあえず、記念にもらってきた。一つ難がある。テーブルが狭い。食後の食器の片付けが疎かにされていると感じた。 亮の所の駅まで、1箇所乗り換えて行った。駅に着き、ショッピングセンターにお店がたくさんある。これといって欲しいものはなかった。 駅から10分ほど歩いて、日本人向け小型スーパーへ寄る。すき焼き用の肉、野菜を買い込む。ここはオーナーの教育が徹底しているのか従業員が商品の掃除にいそがしく動いていた。客は日本人と白人である。マンションに着いた。りんちゃんと孫の顔を見て、今度は大型スーパー(米国系列)へ買い物に出かける。 広い道路と広い歩道。たまに後ろから音もなくオート自転車が通り過ぎていく。 人通りはまったくない所である。15分ほどでにぎわっている大型スーパーに入る。肉の売り場は長く続いている。まあ広い。いろいろとある。上海人の胃袋をまかなっていると思えば納得する。 会社のお土産は豫園の豆を買っているので必要はなかった。だが、ここでお土産を買ったほうが上海らしいものがいっぱいある。いろんな珍味がある。本当に! 帰りがけ、香ばしいいい臭いに誘われて、屋台の焼き鳥ならぬ、焼羊肉を買い食いする。丸帽を被ったイスラム系の小柄な実直なおにいさんである。亮がお金を渡したら、多すぎると返してよこした。信じられない。中国にもまともな人がいるものだと感激した。 りんちゃんと孫のいるマンションへ戻る。早速、すき焼きの用意である。妻たちは忙しく動き回る。 楽しい夕食も終わった。みんなで記念撮影。妻もさすがに赤ん坊のあやし方は上手いものである。我が子のように抱っこしている姿は幸せの絶好調にいるようだ。この子はこれからどんな子になるのか楽しみである。亮はアジアの架け橋になる立派な人間になって欲しいと願っている。私は愛情一杯に注がれて、やさしい子になって欲しい。 今回の旅行のハイライトは終了。またの再会の楽しみにして、りんちゃんと亜希子に別れを告げてホテルへ帰る。 2月19日 本日は帰るだけである。亮の折角の休みも我々の為に案内して疲れたことだろう。今日だけでも親子水入らずで休養してもらいたい。午前中、ホテル周辺のデパート、お店を覗いて時間を潰す。 11時前に上海に来た時の添乗員さんとは別の女性である。客は我々だけであった。 空港に着き、早めに荷物を預けた。軽く食事をする。私は上海ラーメンを食べる。日本人には馴染めない味である。 でも無事旅行も終ろうとしている。私の中耳炎でお騒がせしてしまいみんなに迷惑をかけてしまった。忙しい旅行だった。<省略> 帰りの飛行機は行きとは全く正反対で満席である。しかもお客様は9割方中国人だった。日本航空も中国人を御贔屓にしてもらえばよいことだ。これからは中国人が大口のお客様である。世の中は変わる。我々も世の中の変遷に乗り遅れずに頑張らなくては。 成田空港に着き、帰りに新しく出来た、成田市内の回転すし屋によって帰った。

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正則の山行記録2/附属編・西沢渓谷

1dsc01391 実施日:平成20年8月12日/. 目的地:西沢渓谷(山梨県)/. メンバー:妻と私(57才)/.  異動に伴ない、車通勤になった。今の三菱グランディスでは燃費(ガソリンが高騰している)が悪く、思い切って車を買い替えることにした。グランディス最後のドライブになる。 妻のリクエストに答えて、西沢渓谷を見に行くことにした。 朝5時8分に我が家を出発。猛暑続きである。幸い曇りである。本日の天気予報。東京は午前中雨。山梨はどうかな!  お盆前なので、やや車も多い。首都高を抜け、八王子付近で雨に見舞われる。談合坂SA(サービスエリア)で朝食を兼ねて休憩。早朝から人が多い。いつもの豚汁がメニューにない。おにぎりとサンドウイッチを買い、屋外のパラソル付のテーブルで食事をする。  笹子トンネルを抜けると勝沼インターである。カーナビではこの先を誘導していた。しかしここで降りた方が早い。最初の信号で勝沼方面に右折すればよかったが、やや不安になり、次の信号の塩山方面へ曲がってしまった。市内を余計に走ってしまった。貴重な時間をロス。 国道411号線に出て、恵林寺の脇を通り、国道140号線に出る。  道の駅「みとみ」に寄り、トイレ休憩。すぐ先に西沢渓谷の入口がある。一番下の駐車場に車を入れる。すでに十数台駐車していた。陽を避けて木陰に。8時35分。山支度をして8時45分に出発。ループ橋の下を潜り林道を歩く。  休憩場(分岐)を過ぎ、更に進むと村営西沢山荘がある。元気な親子連れも歩いている。 最初の滝は三重の滝である。コンクリートで整備されている。やや観光地化され過ぎているのでずっとこんなのでは興醒めしてしまう。と思ったがこの先は自然の中にある登山道であった。ほっとする。 結構沢伝いに登るのでアップダウンがあり、ハイキング気分では治まらない。軽登山である。でも沢の景観はずっと続くので心はリフレッシュされる。何段にもなっている青々としている滝つぼ。滝から落ちる白い泡。すがすがしい清涼感がある。渓谷の橋を何回か渡る。この渓谷は日本一かもしれない。そう思えるようになってきた。 雄大さはないが日本の渓谷美を満足させてくれる。30年前に国師岳を目指してここを通ったはずなのだが、このすばらしい渓谷美の記憶がない。どうしてかな! やや洞窟になった母胎淵を過ぎ、カエル岩を過ぎる。急坂を登ると目の前に七ツ釜五段の滝が目に飛び込む。10時30分。 208081201380 感動である。妻に誘われてここに来て良かったと思う。一度来ているので余り期待していなかったのである。シャッターを何回も押す。...... 滝の先で道から降りて、沢へ降りた。「ここで昼食にしよう!」お腹のすく時間である。10時40分。岩に腰を下ろし、おにぎりとパンを食べる。また麦茶が旨い。20分後にまた再開。 後ろから来た中年男性が我々を追い抜き際、草花を取って「これ、なんだが分かりますか!」と突然質問してきた。私が見ても分かるわけがない。「いや~分かりません!」色々講釈してくれた。「コシアブラの木」だそうだ。葉を天ぷらにするといいとのこと。 08081201402 何の変哲もない低木の草木である。特徴がないので覚えられない。とりあえず写真に収めた。  また坂を登りきったら、西沢渓谷の折り返し点である。ベンチには何組かの人達がお弁当を広げていた。トイレもある。その先には軌道跡があり、レールが付いていた。昔をやや思い出したかな!この先は荒れていて国師を断念して引き返した場所である。  我々も木の根っこに腰を下ろし、青森県産の太陽というプラモをかじる。大きいのであごがはずれそうである。 11時15分。 15分ほど休憩して下る。 下りは軌道跡を歩くので、平坦な道をゆっくり下がる。途中、小型ブルトーザーで道を整備していた。楽なコースであるが、1時間30分歩くのでちょっと長く感じる。 崖下20メートルに2頭の鹿がいた。私が喜びの声を上げたのでびっくりして逃げていった。妻から「変な声を出すからよ!」となじられる。写真に収めようとしたが間に合わず。残念!そういえばもうひとつ、妻がへびとご対面していた。妻が先行して、カエルの岩付近(西沢渓谷)で「キャアー」と悲鳴をあげたらしい。私は滝の音で全く聞こえていなかった。妻に近づいたら、「ヘビが出たの!」と教えてくれた。後の祭りである。足元でヘビが横断していったらしいる。またひとつ思い出になるお土産話が増えたのである。 広い林道に出て、ネトリ橋を渡れば、丁度このコースの一周が完結する。この頃には陽が射して蒸し暑くなっていた。やはり午前中に歩いた方が良い。それでも若いカップルが気軽な格好ですれ違いざまに渓谷に入っていった。 駐車場に午後1時丁度に到着。朝寄った道の駅で、パンフレットを見て、日帰り温泉を探した。更に道の駅「花かげの郷まきおか」に寄り、妻のお目当てである農産品を見たが、品数が少ない。どうも甲府の先にある豊富の道の駅に比較して規模が小さすぎたようだ。期待はずれである。源泉の湯に浸かるつもりであったが、中止にして帰ることにした。 桃と野菜(きゅうりなど)は買ったようだが、ブドウがない。勝沼でぶどう園のある店に寄り、色々なぶどうを買い込む。 帰りにも談合坂SAによる。どういうわけか銀座並みの人ごみである。大きいたこ焼きを食べる。 渋滞に嵌らないうちに帰ろう。上野原、赤坂で多少の渋滞があったが、我が家に午後6時に着いた。 参考 ①歩行時間(距離:約11Km)  上り2時間15分  下り1時間30分 (合計3時間45分) ②歩行記録 西沢渓谷駐車場(30分)西沢荘(1時間20分)七ツ釜五段の滝(10分)沢(昼食20分/15分)西沢渓谷終点(15分休憩/軌道跡:1時間30分)駐車場 ③交通費 (走行距離 357Km) 13400円(ガソリン代、高速代)

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