正則の山行記録2<北海道編>

義父の法要と道東の旅 10月12日 早朝、朝一番の新京成で京成津田沼駅へ。バスで羽田空港に到着。我々は早めに搭乗手続きしなければならない。JL1151便8時発がうまく取れた。問題は帰りである。まあ~運に任せよう。 天候に恵まれ、日高山脈を見下ろして、十勝平野の広い畑はパッチワークの図柄である。北海道の広さを間じかに感じる。帯広空港に着いた。連絡もよく、市内のバスに乗れる。息子達は次の便で来るので我々は市内で時間調整をしなければならない。まずは宿泊地のJRイン帯広へ行き、荷物を預ける。

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フロントで情報を得て、市内見物。まずは藤丸デパートへ行った。がお休み。向かい側にある六花亭に入る。来たばかりなのにもうお土産の心配をする。お菓子にも温度管理の必要な物があるので、レンタカーに乗せっぱなしはよくない。配送が良いと判断。色々品定めをする。結局、亮、圭達もここへ来ることになるのでその時にまとめて買うことにした。 次に吟寿司のお店を探す。夕食はおいしい牛トロを食べる予定なのだが。京子の記憶で探したが見つからず。(実は店の前を通り過ぎていた)駅へ行った。観光案内所(駅の2階)のおねいさんが親身になって教えてくれた。市内パンフレットをもらい、印をつける。確かにこの前を通ったはずなのだがと頭を捻る。まあもう一度行けば分かるだろう。 次は長崎屋へ。腹が減っては動けない。3階の大衆食堂へ入り、私はちゃんぽんを食べる。 長崎屋の2階にある、妻ご用達の水産会社へ。店は工事中であり、且つ縮小されていた。妻は塩沢さんから頼まれたサキイカを大量に買い込む。我が家は氷下(こまい)を買い込む。 もう荷物で大変。駅へ向かい、亮たちが2時40分頃にバスターミナルに到着するので待合室で時間潰しをする。 私は疲れきっているので、ベンチでじっと座っていた。 バスターミナルで息子達一向を迎える。亜希子もバスから危なっかしそうに降りてきた。とりあえず、ホテルでチェックイン。それぞれ荷物を置き、皆で長崎屋の水産会社へ。 部屋に戻り、今度は六花亭へ行き、みやげ物を我が家へ配送手続きをした。雨が本格的に降ってきた。おばあちゃんの所へ行き、挨拶とお土産を置いてくる。タクシーでまたホテルに戻る。 吟寿司へ向かう。ホテルから予約していたので安心。お店には私が先頭で入る。京子も最後に入店して久しぶりの再会のあいさつを交わす。 牛トロは絶品だ。皆でおいしさに喜びの声で部屋中は盛り上がる。 2時間ほどでお開きして、妻もご主人に惜しみない別れを告げてホテルへ。 ああ疲れた!2階のお風呂に入り、すぐ寝た。 10月13日  帯広駅前の朝日を拝む。帯広もすっかり都会風である。ビルの隙間からまぶしい太陽を浴びる。 10時30分におばあちゃんの家に行けばよい。息子達もすっかり寝坊を決め付けていた。  我々は朝食を済ませ、荷造りを済ませる。圭達も起きてきたので、彼らは歩いていくと言い出した。それなら私も歩いていこうと決める。亮たちは亜希子がいるのでタクシーであとから来いということで早めに我々は歩いて出かける。  途中で亮のタクシーに追い抜かれる。 既にあーちゃんたちも着ていた。 A氏とB氏とそれぞれあいさつを交わす。狭い部屋は大賑わい。  11時にお坊さんがお経をあげてくれた。お坊さんが帰った後で、お弁当を食べる。 十勝川温泉のお迎えのバスが3時に来る。時間が空くのでおじいちゃんの眠っているお寺へ散歩がてら我が家と塩沢家で出かける。帯広川を渡って20分くらいである。  Bさんは犬の世話で遅れてくるのであとの人は全員、マイクロバスに乗り込む。観月苑に着いた。店内で記念撮影する。その後それぞれの部屋へ分散。 宴会まで時間があるので川へ降りる。私はすぐ引き返し、温泉へ浸る。 1階の広間で宴会が始まる。となりの部屋からはカラオケの大音響。おばあちゃんの短いあいさつで乾杯。アルコールが入るとそれぞれ皆さんの動きがバラバラに。亜希子も部屋の庭園で石いじりが始まった。そうこうしているうちに3時間も経ってしまった。部屋つきの女中も大変でした。ご迷惑をかけました。 私たちは部屋へ戻るともうぐっすり寝込んでしまった。 10月14日

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 大平原ホテルから熱気球2基が飛び立った。朝の十勝川温泉の見物のひとつらしい。  塩沢氏と亮と私は金場さんの車で帯広駅へ。レンタカーを借りて旅館へ戻る。  おばあちゃんとB子さんとA夫妻に別れを告げ、吾ら3台の車は一路、阿寒湖へ向かう。  天候の良い、平原から山中へ。高速道路から足寄の道の駅で休憩。松山千春の写真入り像がある。館内は駅車風に作られていて、子供受けする所だ。 阿寒湖の町に入り、湖畔の有料駐車場に。湖面には雄阿寒岳がきれいに浮かぶ。駐車場からもらった割引店で食事をすることに。1件目ではやる気がないのか断られてしまった。戻ってきて、船着場のお店の2階に入る。 長い道中になるので次は弟子屈の相撲館(名横綱大鵬の故郷)へ寄りたいが時間も余り余裕がないのでカットして、摩周湖へ。第1展望台は有料駐車場になっていたのでパスして、第3展望台へ。正解である。火口の小尾根を登ると霧のない摩周湖が眼下に。そして向かいのとがった山が際立って見える。残念にも私のカメラが電池切れとなる。

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 摩周湖を堪能して、来た道を戻り、今度はパイロット街道を一路、根室へ向かう。 これがまた長い。信号がなく、真直ぐ。途中牧場特有のにおいも。別海町あたりのコンビニで休憩。 スワン44根室の道の駅で休憩する。今日は納沙布岬まで行く予定。だが根室に着く頃には暗くなりそうだ。そのまま民宿ときわに向かう。  民宿ときわは工事関係者が長期宿泊しているようだ。夕食はテーブルに載り切れないほどの料理。花咲ガニがメインだが、それでも他の料理は食べきれない。りんちゃんは殆ど食べていない。亜希子がうるさいのでゆっくり食事が出来ないのである。(工事関係者は普通メニュー)6300円でこんなにサービスされるとはラッキー。

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食後、根室駅まで散策に。真っ暗な駅舎には誰も居ない。まだ最終列車が終っていないにも関わらず。改札からホームに出る。そのホームも1本だけである。根室本線の終着駅で北海道最果ての駅である。淋しいところだ。(日本最東端の駅はひとつ手前の東根室駅である)  駅前には花咲ガニの販売所が多い。日中はまた風景が違うのかもしれない。  宿に戻り、妻と一緒に風呂に入る。熱いお風呂である。妻が入っているので私も我慢して入る。 10月15日  天気予報どおり、雨である。全体からすればほぼ天候に恵まれた方である。帯広、十勝川温泉、摩周湖は晴れだった。  7時にそれぞれ食事をする。8時に出発。圭達の部屋は2階の宿泊者がうるさくて眠れなかったそうだ。後日、民宿からお詫びのハガキが届いた。誰かが苦情のアンケートを書いたのでその返事がきたらしい。大事なことである。民宿の人が知らないままでは今後の経営にも禍根を残すことになる。店の為にも必要なアンケートであると思う。  民宿のご主人に別れを告げ最果ての納沙布岬へ。30分ほどで着いたが、雨が降り止まない。灯台の前で車中から写真取りしていたら、Cさんがタオルを頭に巻いて灯台にまっしぐら。そのあとを圭も真似て走っていった。なら我々も亮と私も真似て灯台へ。

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ネズミ小僧姿の写真を撮りもれた。残念。  岬の売店に寄り、休憩をする。無愛想な男性がレジで突っ立っていた。余り感じの良いものではない。私は亜希子の世話役でお店の商品を悪戯しないように一緒にくっついて回る。皆さんがそれぞれの思い出のお土産を買えればそれでいいのだ。 9時を回り、飛行機の早便組みと最終便に分かれる。私と妻とみどりさんは早便。予約をしていないので、早めに行って手続きをするのである。満席なら搭乗不可となる。乗れるか乗れないかは「神のみぞ知る」である。リスクがあるが安いのでしょうがないのである。  我々1台は来た道と反対側を回る。あとの2台は夜のフライトなのでゆっくりしながら釧路の市場で食事をするとか。 お互いの行動を携帯電話でチェックしながら、行動を進める。  来たときの道の駅でトイレ休憩をする。 そのあとは根室本線と平行して進む。彼らも我々が出た後で例の道の駅へ寄ったらしい。 根室市内で満タンにし、釧路湿原道路を走り、午後12時30分頃に空港のトヨタレンターに車を返す。キャシュバックがあってよかった。 みどりさんに券売機の手続きを手伝ってもらい、無事搭乗できそうだ。 満席ながらセーフらしい。 2階のレストランで食事。みどりさんはえびカレー。小さいえびだと思ったら、大きなえびが2匹。さすが漁港の町釧路であると皆で感激の感想である。

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定刻15時15分発、MD90、JL1146便。となりのデッキには札幌行きのANAのプロペラ機である。 満席の飛行機である。とてもいいことである。低迷する航空業界も頑張らなくては。 羽田に着き、夕食も早めに取って帰った。 私は明日早いので亮たちを待たずに寝た。 妻は彼らの帰宅を待っていた。 りんちゃんが羽田で気分を悪くして吐いたらしい。が帰宅したら食欲が出て回復したとか。 10月16日 亮たちは津田沼で夕食。私と妻で夕食する。 10月17日 私は遅番なので妻と亮たちを成田へ送る。空港内でNAAの仕事をしている田中さんと小林さんにばったり会った。皆さん元気そうである。空港で昼食し、私は妻を置いて、亮一家と別れる。 みなさんお疲れ様でした。

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正則の山行記録2・上海編

目的地:上海(孫の顔を見に)/ 実施日:平成22年2月16日~19日/ メンバー:妻と私

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2月16日 JL791便はガラガラである。会社更生法で実質日本航空は潰れた。国営の航空会社になった。それにしてもこの乗客の少なさは赤字会社を物語るものである。 今朝、我が家を5時10分頃に出てきた。妻と荷物を旅客ターミナルに置いて、私は整備場に車を置いてとんぼ返り。一番のバスでターミナルに着いた。7時40分の集合であるが、1時間も早く着いてしまった。<省略> 成田を9時45分に経ち、現地に12時20分着の予定である。座席は右側55番と56番である。この座席も3日前にWEBチェックインで座席を予約したのである。本当にこのご時勢は電子革命による世の中になってきたものだと感心と困惑で複雑な心境である。 私は窓際で海しか見えないのに下を眺める。妻はラジオを聞いておとなしくしている。後ろの座席は最後尾に5人の男性が居るだけで空席(主翼の後ろの中央と左席は誰も居ない)になっている。 ランチは和食。缶ビール1本もらってご機嫌である。 12時20分に空港に到着。前回来たスポットと同じだ。長い通路を歩き、入国検査と税関もスムーズに通過。 入国ロービーは前回と比べ、静かである。柱に赤い服を着た女性がいた。おそらく迎えの担当者だろう。向こうでもそれとなく分かったようだ。こちらに近づいてきて、たどたどしい日本語で「○○さんですか」と聞かれた。私はうなずいた。4人組みを確認して、女性の添乗員は「もう一組が着ますので待ってください」といった。ホテルまでどのくらいかかりますかと聞く。約1時間です。 飛行機の一番後ろに居た2人がやってきた。ひとりの男性はやたらと英語で話しかけていた。日本語が通じるのに変な日本人だと思った。 3階へエレベーターで上がり、古くさいマイクロバスに乗り込む。荷物も座席に載せて。 私の耳が気圧に対応できずにパカ、パカ~いっている。治ればいいのだが。 高速道路は快調である。途中リニアモーターカーに抜かれた。道は空いている。春節のせいだろうか。しばらくし、大都会のビル群の建物に吸い込まれていった。さすがホテルオークラである。門から入ると正面ロビーの前まで車が入る。建物の前には広い公園があり、ビルディングホテルとはちょっと味が違うぞと思わせる。私は田舎者であるが、息子のおかげで名のあるホテルに泊まることが出来る。前回は蘇州のシャングリラだった。 今回は日本のオークラにも泊まった事がないのにと五ツ星のホテルに泊まる。なにか貧乏人が錯覚するのである。リッチになったものだと。 女性添乗員さんがフロントで手続きをしている。同乗の男性2名は車で待機中である。ここが済まないと次のホテルへ移動できないからだ。ちょっと時間がかかったが、「帰りの19日は11時にこのフロントで待っていてください」と言われて。添乗員さんと分かれた。 カードキーをひとり1枚ずつ預かり、17階へ。時計の針を現地時間にあわせ、ほっと一息する。3時に息子がロビーに向かいに来るので、あまりゆっくりとしてはいられない。私は段々耳が痛くなり、歯茎が痛くなる。このままおとなしくホテルにいた方がいいのかと少し悩む。でも身体を動かしていた方が気が楽なのでみんなと行動を共にする。 3時前に1階のフロントへ。亮が立って待っていた。まずは安心である。再会の喜びをして、市内へ行く前に円を元に変えなくては。亮にお願いして、6万円を両替してもらった。日本語でも通じるのだが、彼が中国語で喋っている姿を見ると不思議と安心するのである。私のみやげ物が入ったザックを丸ごと亮に渡す。 ホテルの近くに地下鉄の駅がある。峡西南路(1号線)駅である。彼の後ろをはぐれないようにくっついて歩く。私は大体の亮の住まいまでの交通機関を調べていたので、何処で乗り換えていくかは頭に入っていた。でも逸れたら厄介である。地下鉄は1号から8号線という表示なので日本と違って分かり易い。切符売り場は自動販売機があるが、台数が少ないようだ。息子がまとめて買ってくれる。一人ひとりカードを受け取り、自動改札口を通る。どうもこのカードは回収後も再利用するらしい。よって使い切りの切符はないらしい。お土産代わりに持参したい所だが、カードはあまり衛生上良くないのでやめよう。 人民広場はまたまた人だらけである。2号線に乗り換えるのにも大変だ。車両はドイツ製らしい。座席は日本のベンチシートと同じである。こちらの公共の乗り物はほとんど雑に出来ている。布張りシートは皆無。簡素といえばそうだが、ベンチの食べ物の袋など捨てられている。公共マナーは悪い。 上海科技館駅に着いた。大きな建物の前を通り、駄々広い歩道を歩く。日本人向けのスーパーによる。私は相変わらず不調である。建物の前で据わって待っていた。 マンション群の中をずっと歩く。車両の出入口は若いガードマンが物々しくたっている。我々は車の入口脇から入る。20メートルほど右折する。マンションの1階らしい。りんちゃんが顔を出した。元気そうだ。 早速部屋に入り、孫とご対面である。生まれてから、22日目である。かわいい赤ちゃんである。目が丸い。きっと美人になるぞ!でも孫が二十歳になるまで我々も元気でいられるかな。なんて先のことまで考えている。余り遅くなるのもいけないので、我々もホテルへ帰ることにした。でも亮がいないと帰れないので、送って貰う。峡西南路駅に戻る。さて何処で食事しようかと悩む。 ホテルを過ぎて真直ぐ奥へ進む。店らしい所がない。へんな所に入りこんでしまった。路地の中の迷路という感じ。妖しい所なので出てきた。通りの角にお店があったので入る。甘い上海蟹(今は時期ではないらしい)、色々食卓に並ぶ。私も元気がやっと出てきたらしい。蘇州よりも味加減が全体に甘いようだ。 ホテルで亮と別れ、部屋へ戻る。ああ疲れた。外は町中花火で眠れない。うるさい。カーテンを閉めても至る所で無秩序に打ち上げられているようだ。ヤレヤレ。 2月17日 耳の薬を飲む。1階のバイキングで元気が出る。きようはどこへいこうか。妻は何回か来ているので、私の要望で豫園と魯迅記念館に行くことにした。 フロントで会社の人から2万円を細かくしてくれと頼まれていたので、10元紙幣と20元紙幣に換えてもらった。 今度は豫園までどう行こうか算段。結局ホテルからボックスカーを2時間で借りることにした。割高になるがしょうがない。 豫園は人だらけである。ガイドブックにある薬やと豆やによることにしていた。 また会社から頼まれた薬を求めて入ったが、その薬はなかった。今度は妻たちが春節の飾り物を買うので値切り交渉を楽しんでいた。 豆やは忙しく売れている。ガイドブックで5元が12元になっていた。高いけど10個買った。といっても日本円にしたら安い。 裏通りを歩き、駅まで歩く。南京路歩行街はまた人で一杯。地下の大衆レストランに入ったが席がなかった。諦めて出てくる。世紀大道駅まで行くことにした。 腹が減った。大きな吹き抜けのビルに入った。わけのわからないものを並べて食べる。ビールだけは咽を通る。外に出て、歩くがどこをどう歩いているのか分からない。大きなビルが聳え立っている。 上海一番高いビルに入る。入口には人が行列をなして並んでいた。我々も並ぶ。460メートルも一気に上がるから決して耳にはよくない。でもせっかくここへ来たのだからのぼらにょゃ損損である。最上階まで上がる。テレビ塔を見下ろす格好だ。随分高いな。東京タワーなんか問題じゃないぞ。 腰が痛くなってきた。1階の喫茶店で休憩。そして夕食して帰ることにした。暗くなる。テレビ塔のほうへ向かう。亮の知っている日本料理店へ向かう。ビルに入ったが、店じまいか休みなのか閉まっていた。外に出て、さすらい歩く。伊藤屋という日本人向け?なのか2階建てのレストランがあった。夜景でも見て、ゆっくり食事が出来るのかと期待する。1階に2,3組の客がいた。2階へ上がる。誰もいない。1階に比べ、寒い。窓際からの夜景もよくない。なにより寒いので1階へ戻る。席はほとんど4人席だったが、1箇所6人掛けがあった。中国人のウェイトレスである。たどたどしい日本語だが、色々説明してくれたが、今一よく分からなかった。結局、焼肉食べ放題にする。注文した焼肉を並べ焼き始める。ガスコンロの具合が悪い。ひとりウエイトスがガスコンロの元栓につきっきりで立っている。おかしいなとは思っていた。しょっちゅうガスが止まるのである。息子が「席を変えよう」と言い出して、隣の4人席にイスひとつ持ってきて、移動した。今度は大丈夫だ。最初はすぐ肉が出てきたが、後になったら出が悪くなった。どうも食べ放題も調整されてしまったようである。また亮にホテルまで送ってもらった。 2月18日 さあ今日は午前中、魯迅記念館へ行って、午後は亮のマンションですき焼きである。ホテルで集合して、亮を先頭に出発。地下鉄で人民広場で乗り換え、8号線に乗る。いつのまにか地下から高架線に出て、市内が見渡せる。やや遠く、テレビ塔も見えた。 虹口足球場駅に着いた。人もまばらである。改札口に吉野家がある。さすが日本のチェーン店だなと感心する。道路上の高架橋でスタジアム(サッカー場かな)を渡る。閑散としたスタジアムを半周し、公園に入る。魯迅公園なのだが、記念館が分かりづらい。人が集まって、将棋やら、ダンスをしている。憩いの場所なのだろう。それらしい建物を見つける。入口が分からず、人家(古そうな煉瓦作り2階屋)の道路に出て、遠回りをして入口を発見した。私が魯迅館(江南住宅風の現代博物館)へ行こうといったものだから、私が率先して動き回った。まず、ここを選んだ理由は二つある。ひとつは日本人になじみがある人名である。そしてもうひとつの理由は拝観料が無料なのである。 チケット売り場があり、無料なのにおかしいなと思う。だがそこで、入場券を受け取り、料金は無料であった。監視する人は制服姿のガードマンだ。上海市における社会主義革命的観光地としての位置づけなのである。中は整然とされ、係員が配置されて、綺麗であった。魯迅の人間像も分からず、入った。彼が日本に縁のある文学者程度の知識しかなかった。 日中戦争時の写真があり、やや生臭い所もあった。魯迅が日本で医学の道を志していたことが写真を見てわかった。今の東北大学医学部である。中退し、母国へ帰り、文学に進み、北京大学で教鞭をとりつつ、色々な作品を発表する。中国の封建的な伝統に反対し、左翼作家連盟を上海に作り、国民政府に圧迫されたが、死ぬまで中国解放運動に活躍した人だ。まあ日本に帰って、魯迅の本をじつくり読む事にしよう。 腰が痛くなってきた。2階のトイレ前で1階の中庭にある売店を覗き込みながら休憩をした。 公園の広場はタコ上げを楽しむ人やマイクでカラオケに興じている人と様々である。さあ、お腹も空いてきた。駅へ向かう。駅は若者たちが増えてきているようだ。亮のマンションへ行く前に、昼食にすることにした。適当なレストランがなかったので、吉野屋へ入ることにした。牛丼以外にも色々メニューがある。私は海鮮丼にした。普段、日本にいても吉野家に入ったことがない。妻は初めてだとか。中国風の吉野家もいいもんだ。割引券入り袋をもらう。日本でも通用するとか。とりあえず、記念にもらってきた。一つ難がある。テーブルが狭い。食後の食器の片付けが疎かにされていると感じた。 亮の所の駅まで、1箇所乗り換えて行った。駅に着き、ショッピングセンターにお店がたくさんある。これといって欲しいものはなかった。 駅から10分ほど歩いて、日本人向け小型スーパーへ寄る。すき焼き用の肉、野菜を買い込む。ここはオーナーの教育が徹底しているのか従業員が商品の掃除にいそがしく動いていた。客は日本人と白人である。マンションに着いた。りんちゃんと孫の顔を見て、今度は大型スーパー(米国系列)へ買い物に出かける。 広い道路と広い歩道。たまに後ろから音もなくオート自転車が通り過ぎていく。 人通りはまったくない所である。15分ほどでにぎわっている大型スーパーに入る。肉の売り場は長く続いている。まあ広い。いろいろとある。上海人の胃袋をまかなっていると思えば納得する。 会社のお土産は豫園の豆を買っているので必要はなかった。だが、ここでお土産を買ったほうが上海らしいものがいっぱいある。いろんな珍味がある。本当に! 帰りがけ、香ばしいいい臭いに誘われて、屋台の焼き鳥ならぬ、焼羊肉を買い食いする。丸帽を被ったイスラム系の小柄な実直なおにいさんである。亮がお金を渡したら、多すぎると返してよこした。信じられない。中国にもまともな人がいるものだと感激した。 りんちゃんと孫のいるマンションへ戻る。早速、すき焼きの用意である。妻たちは忙しく動き回る。 楽しい夕食も終わった。みんなで記念撮影。妻もさすがに赤ん坊のあやし方は上手いものである。我が子のように抱っこしている姿は幸せの絶好調にいるようだ。この子はこれからどんな子になるのか楽しみである。亮はアジアの架け橋になる立派な人間になって欲しいと願っている。私は愛情一杯に注がれて、やさしい子になって欲しい。 今回の旅行のハイライトは終了。またの再会の楽しみにして、りんちゃんと亜希子に別れを告げてホテルへ帰る。 2月19日 本日は帰るだけである。亮の折角の休みも我々の為に案内して疲れたことだろう。今日だけでも親子水入らずで休養してもらいたい。午前中、ホテル周辺のデパート、お店を覗いて時間を潰す。 11時前に上海に来た時の添乗員さんとは別の女性である。客は我々だけであった。 空港に着き、早めに荷物を預けた。軽く食事をする。私は上海ラーメンを食べる。日本人には馴染めない味である。 でも無事旅行も終ろうとしている。私の中耳炎でお騒がせしてしまいみんなに迷惑をかけてしまった。忙しい旅行だった。<省略> 帰りの飛行機は行きとは全く正反対で満席である。しかもお客様は9割方中国人だった。日本航空も中国人を御贔屓にしてもらえばよいことだ。これからは中国人が大口のお客様である。世の中は変わる。我々も世の中の変遷に乗り遅れずに頑張らなくては。 成田空港に着き、帰りに新しく出来た、成田市内の回転すし屋によって帰った。

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正則の山行記録2/附属編・西沢渓谷

1dsc01391 実施日:平成20年8月12日/. 目的地:西沢渓谷(山梨県)/. メンバー:妻と私(57才)/.  異動に伴ない、車通勤になった。今の三菱グランディスでは燃費(ガソリンが高騰している)が悪く、思い切って車を買い替えることにした。グランディス最後のドライブになる。 妻のリクエストに答えて、西沢渓谷を見に行くことにした。 朝5時8分に我が家を出発。猛暑続きである。幸い曇りである。本日の天気予報。東京は午前中雨。山梨はどうかな!  お盆前なので、やや車も多い。首都高を抜け、八王子付近で雨に見舞われる。談合坂SA(サービスエリア)で朝食を兼ねて休憩。早朝から人が多い。いつもの豚汁がメニューにない。おにぎりとサンドウイッチを買い、屋外のパラソル付のテーブルで食事をする。  笹子トンネルを抜けると勝沼インターである。カーナビではこの先を誘導していた。しかしここで降りた方が早い。最初の信号で勝沼方面に右折すればよかったが、やや不安になり、次の信号の塩山方面へ曲がってしまった。市内を余計に走ってしまった。貴重な時間をロス。 国道411号線に出て、恵林寺の脇を通り、国道140号線に出る。  道の駅「みとみ」に寄り、トイレ休憩。すぐ先に西沢渓谷の入口がある。一番下の駐車場に車を入れる。すでに十数台駐車していた。陽を避けて木陰に。8時35分。山支度をして8時45分に出発。ループ橋の下を潜り林道を歩く。  休憩場(分岐)を過ぎ、更に進むと村営西沢山荘がある。元気な親子連れも歩いている。 最初の滝は三重の滝である。コンクリートで整備されている。やや観光地化され過ぎているのでずっとこんなのでは興醒めしてしまう。と思ったがこの先は自然の中にある登山道であった。ほっとする。 結構沢伝いに登るのでアップダウンがあり、ハイキング気分では治まらない。軽登山である。でも沢の景観はずっと続くので心はリフレッシュされる。何段にもなっている青々としている滝つぼ。滝から落ちる白い泡。すがすがしい清涼感がある。渓谷の橋を何回か渡る。この渓谷は日本一かもしれない。そう思えるようになってきた。 雄大さはないが日本の渓谷美を満足させてくれる。30年前に国師岳を目指してここを通ったはずなのだが、このすばらしい渓谷美の記憶がない。どうしてかな! やや洞窟になった母胎淵を過ぎ、カエル岩を過ぎる。急坂を登ると目の前に七ツ釜五段の滝が目に飛び込む。10時30分。 208081201380 感動である。妻に誘われてここに来て良かったと思う。一度来ているので余り期待していなかったのである。シャッターを何回も押す。...... 滝の先で道から降りて、沢へ降りた。「ここで昼食にしよう!」お腹のすく時間である。10時40分。岩に腰を下ろし、おにぎりとパンを食べる。また麦茶が旨い。20分後にまた再開。 後ろから来た中年男性が我々を追い抜き際、草花を取って「これ、なんだが分かりますか!」と突然質問してきた。私が見ても分かるわけがない。「いや~分かりません!」色々講釈してくれた。「コシアブラの木」だそうだ。葉を天ぷらにするといいとのこと。 08081201402 何の変哲もない低木の草木である。特徴がないので覚えられない。とりあえず写真に収めた。  また坂を登りきったら、西沢渓谷の折り返し点である。ベンチには何組かの人達がお弁当を広げていた。トイレもある。その先には軌道跡があり、レールが付いていた。昔をやや思い出したかな!この先は荒れていて国師を断念して引き返した場所である。  我々も木の根っこに腰を下ろし、青森県産の太陽というプラモをかじる。大きいのであごがはずれそうである。 11時15分。 15分ほど休憩して下る。 下りは軌道跡を歩くので、平坦な道をゆっくり下がる。途中、小型ブルトーザーで道を整備していた。楽なコースであるが、1時間30分歩くのでちょっと長く感じる。 崖下20メートルに2頭の鹿がいた。私が喜びの声を上げたのでびっくりして逃げていった。妻から「変な声を出すからよ!」となじられる。写真に収めようとしたが間に合わず。残念!そういえばもうひとつ、妻がへびとご対面していた。妻が先行して、カエルの岩付近(西沢渓谷)で「キャアー」と悲鳴をあげたらしい。私は滝の音で全く聞こえていなかった。妻に近づいたら、「ヘビが出たの!」と教えてくれた。後の祭りである。足元でヘビが横断していったらしいる。またひとつ思い出になるお土産話が増えたのである。 広い林道に出て、ネトリ橋を渡れば、丁度このコースの一周が完結する。この頃には陽が射して蒸し暑くなっていた。やはり午前中に歩いた方が良い。それでも若いカップルが気軽な格好ですれ違いざまに渓谷に入っていった。 駐車場に午後1時丁度に到着。朝寄った道の駅で、パンフレットを見て、日帰り温泉を探した。更に道の駅「花かげの郷まきおか」に寄り、妻のお目当てである農産品を見たが、品数が少ない。どうも甲府の先にある豊富の道の駅に比較して規模が小さすぎたようだ。期待はずれである。源泉の湯に浸かるつもりであったが、中止にして帰ることにした。 桃と野菜(きゅうりなど)は買ったようだが、ブドウがない。勝沼でぶどう園のある店に寄り、色々なぶどうを買い込む。 帰りにも談合坂SAによる。どういうわけか銀座並みの人ごみである。大きいたこ焼きを食べる。 渋滞に嵌らないうちに帰ろう。上野原、赤坂で多少の渋滞があったが、我が家に午後6時に着いた。 参考 ①歩行時間(距離:約11Km)  上り2時間15分  下り1時間30分 (合計3時間45分) ②歩行記録 西沢渓谷駐車場(30分)西沢荘(1時間20分)七ツ釜五段の滝(10分)沢(昼食20分/15分)西沢渓谷終点(15分休憩/軌道跡:1時間30分)駐車場 ③交通費 (走行距離 357Km) 13400円(ガソリン代、高速代)

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正則の山行記録2・東京WALKING第6回<花見川上流>

108022800833 <写真:花島公園> 平成20年2月28日(木)/ 「花見川の上流を目指して」 今回は東京近隣の川を散策してきた。千葉県の東京湾に注ぐ花見川である。 スタートは新京成線の滝不動駅。12時30分頃。天気も上々である。およそ30Kmの歩行時間を想定した。 ザックにパン1個とペットボトル、おやつ(飴等)とカメラを入れて、快調に歩く。高根公団前を通過し、高根台中学校(12時55分)を左折し、すぐ右折する。真直ぐ行くと、成田街道に出る。13時17分。 花見川団地を目指すつもりが実籾駅方面に進んでしまう。近道を選んだつもりがものすごい遠回りになってしまった。やや右足の関節が痛むが我慢しているうちに治ってしまった。 花見川団地を通過すると花島公園に出る。14時20分。昼飯は我が家で済ましたのだが、お腹がすいたので、ザックにあるパンを食べる。若いお母さんが小さいお子さんを連れて、楽しそうに散歩している姿が目立つ。10分ほど休憩して、花見川に出る。ここから下流はよく散歩やサイクリングをした。この反対の上流は未知の世界になる。その上流を目指す。鬱蒼とした茂みに囲まれた川沿いを歩く。観察用に鳥の絵と名前が載った看板があちらこちらにある。鳥の鳴き声がするが観察する暇もないので急いで歩く。 途中2箇所で堰堤工事があり迂回する。八千代市に入ると花見川は新川と名前が変る。やや歩きづらく迷う所だ。 京成線を潜り、左岸(下流から見ると右側)に渡り、また右岸に渡る。桜の木が植えてある。春にならば見物客が多いのだろうと推察する。土手沿いの道は整備されていて、歩きやすい。更に東葉高速線を潜る。15時40分。通学帰りの高校生達が多くなる。釣り人も目立つ。 八千代の道の駅(国道16号)が見えてきた。このまま川の上流を進めば、印旛沼に向かう。今回は富士見橋で左折し桑納川(かんのうがわ)に入る。16時12分。500メートルほど先は小船が往来できそうだが、その先は川幅が狭く、汚れている。また堰堤の道もなくなり、田んぼの脇道を歩く。川が二つに分かれているところに来る。左岸よりの川(木戸川)は農水路となり右岸の川は工事中となっている。右岸の川の方が川らしい。こちらに進むことにした。ところが桑納川の右の土手にいたので、木戸川を渡らなければいけない。渡る橋が見当たらない。1回車道に出て、随分遠回りを強いられる。先ほどの川の分流点に戻る。工事中でブルドーザーが置かれていた。土手は枯れ草でぼうぼうで歩けない。田んぼのあぜ道を通り、上流へと向かう。 08030400841 <木戸川:写真/高根台さくら公園が源流> 上流へ向かう道もなくなり、車道へ出るしかない。川を見失わないようにトボトボ歩く。電柱に坪井町とある。何処へ出てきたのか不安である。どうもこの川の河川工事があちらこちらで見受けられる。川から離れないように、人家の脇道を通り抜ける。 とうとう川の源だろうか、調整池に出た。この周辺も工事中なのか、柵で覆われていた。やっと川の旅も終りである。日もどっぷり沈んでいた。増築中の公園の脇から抜けて、広い車道に出た。どうやら日大(理工学部)の裏に出たらしい。もうくたくたである。右足の関節も痛み出し、足を引きずりながら歩く。この周辺は東葉高速の日大前駅(地下駅)が出来、新興住宅地として変貌してきている。都内へ1本で行けて便利であり、静かな学園街(日大の付属中学、高校と理工学部、薬学部がある)なので一戸建ての穴場だと思う。  日大理工学部の正門を通り、船橋東署を通る。振り返ってみると、もうちょっと早く帰れたかなと反省。まずは実籾駅の遠回りと堰堤工事が多く、余計な遠回りをしたことだ。それと大事なことは手元に地図がないのである。全くの感で歩き通してきた。ある程度頭に地図が入っているが、細かい所は解らない。今回の散歩は事前に思いついた行動なので仕方がない。ところで最終の川は坪井川である。桑納川から上流の川は詳しい地図帳で調べないと解らない。歩行中には表示物がない。大きな川であれば橋に掲示板がある。家に帰り、調べるのも楽しみなのである。.....足の靴擦れも気になる。腰周りに筋肉痛なのか肩がこるのと同じようなパンパン状態である。気持ちは急いでいるのだが、一向にスピードが上がらない。やれやれ! 滝不動駅に着いたのは18時40分。走行距離は35キロメートルでした。 追伸:3月4日に自転車で坪井川の分流である駒込川の源流も確認してきた。船橋総合体育館の脇にある調整池である。<下記写真> 08030400853

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正則の山行記録2・蘇州編4日目

平成19年12月10日(月) 「さあ、今日は帰る日だ。寝坊はしていられない。」朝食を済ませる。昨晩、テレビが映らなかったが、今朝はどういうわけか点いた。不思議だ。31階の部屋から外を眺める。やや濃霧のかかった大きな通りは通勤車両と雨合羽を着たオート自転車が忙しく動いている。どうやら雨である。我々は恵まれたようだ、最後の帰国日だけが雨。運がよかったのだろう。 8時前に息子が迎えに来た。来る時には大きなザックと旅行カバンがあったが、今日はザックはない、旅行カバンだけである。多少楽かな!また上海空港(浦東)へ3時間かけて戻る。車は渋滞もなく進む。途中、上海の料金所に入ると車を止められた。ほとんどの車は蘇州ナンバーである。前回の速度違反で罰金を払わされたらしい。よく事情が飲み込めないが。やや閑散とした空港に着いた。渋滞を見込んで来たので早めに着いた。時間もたっぷりあるので、3人で喫茶店に入る。30分ほど休憩して、息子と別れる。出国手続きを済ませ、免税店へ。日本の免税店と違い、簡素な売店風で通路に並んでいる。会社のお土産にチョコレートを買う。 2時に出発。来た時の飛行機(同じ機番)と同じである。乗り込むとすぐ機内食が出た。食後は、妻はイヤホンで何か聞いているらしい。私はスヤスヤとZzzzzz!。暗くなった成田空港に到着。5時25分。地元の町で夕食に回転寿司に寄る。やはり日本人なのである。日本人は贅沢なのかな!世界の食事事情を見ても、色々手が込んでいて、おいしい。満足して我が家に着いた。留守番のナツ(猫)もおとなしく家を守ってくれていたようだ。息子達に無事帰国したことを報告し、お礼の言葉を添えた。<終わり>

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正則の山行記録2・蘇州編3日目

127 平成19年12月9日(日) ホテルの朝食が一番落ち着けて食事が出来る。どうも中国の食事にはまだ馴染めないのである。パンとお粥、そしてヨーグルトとフルーツを食べて胃袋を満足させた。今日で蘇州観光も終わりだ。最後なので元気よく観光しよう。 息子と彼の彼女が迎えに来た。またタクシーで今日の一番目は私のリクエストで盤門へ直行。春秋時代、三国時代を偲ばれる処だと確信していたのである。庭園を見るのも良いが、歴史を少しでも蘇えらせてもらえる場所がそこにあるような気がした。それが盤門だ。入園口に到着。入口は他の観光地より人出が少ないようだ。25元を払い、また8角7層の瑞光塔に入るのにも入場料が必要である。瑞光塔は三国志に登場する呉の孫権の創建によるもので、現存するのは北宋時代に修復されたものだ。狭い回廊を登りつめると、裏の庭園が一望できる。広いのに驚く。そしてその左手に城門が見える。ここが私の最大の見るポイントなのである。瑞光塔を降りて、庭園を時計周りで見ることにした。盤門の楼閣手前にみやげ物店がある。妻たちが覗いているので私も誘われてみた。妻が「あ~へび!」。棒を小細工してあり、くねくね曲がるようになっている。私は妻に「中々上手くできているネ!。お土産に丁度いいや」私はまとめ買いをした。息子たちに手伝って貰い、現地語で値切り交渉が始まった。うまくいった。会社の仲間達にも喜ばれるだろうと思う。 今までお決まりの観光地めぐりだったが、ここでぐっと楽しくなってきた。弾みがついたようだ。そしてすぐ先に盤門があり、呉と記した旗が並べられている。盤門に立つ。古代中国の歴史が身近に感じられる。「うれしくなる!」外城河にかかる呉門橋を一望する。呉の兵になったような錯覚に!ちょっと歴史に酔ってしまったかな! 写真を取り捲りやっと落ち着いた。庭園に戻り、五相祠にはいる。坐像があり、また感動する。あの五子胥に会えたのである。母国、楚国で父親、兄を殺されて、執念に燃えて、楚の平王を仇に思ったが、彼が楚国を滅ぼした時にはすでに死んでいたのである。そして平王の墓を探し、墓を発いて屍体を鞭打つのである。なんというかものすごい執念である。また楚国を相手にしたときに孫子の兵法を著わした孫武も五子胥の戦友でもある。春秋時代にタイムスリップしそうだ。....この地にこられたのも息子のおかげである。感謝したい。 盤門を出て、そろそろお腹がへって来た。息子の案内でそばやさんに向かった。大きな通りからはずれ、路地に入り、2階に上がる。民放のアナウンサーがロケに来たのだろうか、徳光さんの写真が貼ってあった。同得興という店である。ガイドブックにも紹介されている。水晶担麺(ガイドブックには12元とあったが、20元した)を頼む。1階は大衆客相手で2階はやや上客相手という感じである。2階はゆつたり出来て落ち着ける場所である。4人でワイワイ云いながら、息子の彼女が通訳代りに料理の内容を色々聞いてくれた。細い麺と豚肉と野菜が一緒に出てくる。豚肉、野菜を麺の上に載せて食べる。あっさりしておいしい。麺好きな私にとってはほっとする。  食べ終わり、息子の彼女が路地の焼き芋を買う。(日本の焼き芋屋と同じリヤカーに似た運搬具に載せている)芋は日本のサツマイモとちょっと違う。彼女はこれが大好きらしい。喜んで歩きながら食べていた。 暫らくし、賑やかな観前街に入る。その前にデパートに入る。店内はきれいだが、トイレが日本のデパートと違い余りきれいとはいえない。高級感とトイレの清潔感は比例していないように思えた。人だらけの観前街を歩く。私の希望で道教寺院の玄妙観に入る。日本人に馴染みが薄い道教に少しでも触れたいと思った。孔子の儒教と老子の道教(神仙思想)。何が違うのか寺を見ても解答は得られなかった。もう少し自信勉強しないとわからない。寺の周囲は自由市場で大賑わいである。次にタクシーで拙政園に行く。だだっ広い庭園である。庭園の東屋でさりげなく水墨画を描いている人がいた。うしろから覗いたが、うまく描かれている。白黒で描かれた小枝が今にでも風に吹かれて靡きそうな感じである。...また立ち疲れた。庭園を出て、今度は歩いて北塔報恩寺まで。この寺は三国時代の呉の名将、孫権が母親の恩に報いるため建てた寺である。9層まで上がると蘇州の町が一望できる。下を見ると高所恐怖症の人には耐えられないと思う。膝の震えが止まらなくなりそうだ。それもそのはず、ここまで階段を上がってくるのにも一苦労である。その膝関節が弱った所で恐怖を味わうのだから。とても思い出に残る所である。一通り観光を終えた。そしてまた人ごみの現前街へ戻る。大きなレストランに入る。まずはビールで乾杯して、太湖産の桂魚、蘇州蟹と脂っこいものがどんどん出て来る。やはり辛いものが多いようだ。蘇州の晩餐も辛さで締めくくられた。人ごみの現前街を通り抜けた。そしてタクシーを拾うのにも一苦労である。息子はバスでの移動はお勧めでないらしい。日本の安全で清潔なバス事情と違い、やや異なる。そしてスリが多いとのこと。しかし妻は乗ってみたいらしい。妻の希望によりバスで帰ることにした。停留場にはバスが来る度に入口に人が群がる。ワンマンバスである。乗り降りするのにも順番に並ぶことはしない。われ先とみんなで急ぐのである。やっとバスに乗り込んだが、繁華街の照明とは対象的に暗い。車内は電灯がつかない。そして後ろの扉は故障で閉めっぱなし。バスは多少故障していても走れば運行しているのである。やっと郊外に出て、やや人が減ってきた。降りるときも息子たちの後ろにくっついて必死で降りた。やや興奮したが、楽しい乗り物だった。息子のマンションに寄り、どんな住まいか覗いてきた。部屋はシンプルで床暖房付きなので、住み心地は快適らしい。お茶をご馳走になり、中国の地図を広げ、現在地を確認する。「ひろいなあ!」と私。史跡、自然、観光地まだまだ行きたい所は多い。妻と「また機会があれば来たいね!」と話は弾む。 息子たちに見送られ、明るい街路灯を人気のない広い歩道を妻とトボトボ歩く。ホテルに着いて、明日の帰り支度をする。部屋のテレビがつかない。テレビを諦めて寝ることにした。まずは一通り蘇州の町を堪能出来たのでほっとする。あっという間に3日間が過ぎた。ちょっと物足りないような気もしたがとても楽しかった。

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正則の山行記録2・蘇州編2日目

126 (寒山寺) 平成19年12月8日(土) 朝食後、息子と彼女が迎えに来た。出かける前に航空会社営業支店へ電話し、帰りの手続きをした。もし中国人の人が出たら困るので、隣に息子を控えさせていたが、日本人らしい女性が対応してくれたので無事済んだ。  観光地めぐりはすべて息子任せなので、何処が見たいなどと贅沢は云っていられない。まずは息子の職場に案内された。ホテルから2,3分の所である。事務所には土曜日なので現地スタッフ3名の人が居ただけである。息子は何かと電話連絡している。休みとはいえ、忙しそうである。その後、簡単に中国での今の仕事などを説明してくれた。 会社の前からタクシーに乗る。日本のタクシーと違い、やや狭く、余り清潔とはいえない。運転手席は身を守るためか、アクリル板で覆われていた。相当、お客に対して警戒してる感じ。強盗が多いのだろうか! 最初に向かったのは寒山寺である。古い日本人には親しみやすいところである。蘇州夜曲の歌詞に出てくる。「 1 君がみ胸に 抱かれて聞くは   夢の船唄 鳥の唄   水の蘇州の 花散る春を   惜しむか柳が すすり泣く 2 花をうかべて 流れる水の   明日(あす)の行方(ゆくえ)は 知らねども   こよい映(うつ)した ふたりの姿   消えてくれるな いつまでも 3 髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか   君が手折(たお)りし 桃の花   涙ぐむよな おぼろの月に   鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)」 ロマンチックな歌ですね。子供のころによく聞いたような記憶がある。すぐ横に運河があり、昔はとてもロマンチックで所だったのかもしれない。観光客の人ごみとしつこい売り子の人達でやや幻滅する。でも歴史がある。禅宗として南北朝梁(紀元後500年ごろ)の時代に創建されている。唐時代にも有名な歌人達が訪れている所だ。狭い五重塔に入り、隣の屋根瓦にコインを投げている姿をみて、真似して投げる。うまく瓦に乗った。なんだか幸先が良いぞ!階下に下り、鐘楼を過ぎた所で日本人観光客の一行が来た。すれ違いざまに「ふっと」。見慣れた顔が現れた。TACTの仲間、そしてライダー仲間でもある田中さんとばったり会ってしまった。お互いにふけずに元気な姿である。お互いに声を詰まらせて驚いた。二言三言しゃべったが、彼も団体旅行なので置いていかれまいと集団の中に消えていった。全くの奇遇である。遠い外国の地で友人に会うこともあるものだとうれしい気持ちになった。確かに学生時代にもあった。スイスの山の麓でばったりクラスメイト(山好きな)に出くわしたことも会った。日本人が世界の観光地にいかに多く出ているかということかも!..... そして次は虎丘へ移動する。正面から「ピサの斜塔!」が見える。そうここは蘇州である。雲厳寺塔という。(東洋の斜塔と呼ばれている)地盤沈下で3.5度傾いているとか。丘の上に立っているのでよく見える。境内に入り、右側に試剣石がある。綺麗に刀で切ったような岩があった。説明文は漢文でよくわからないが、春秋時代とか呉王闔閭とか書かれていた。古代中国を偲ぶにはとてもよい所である。斜塔で一服。息子の彼女が中国人の子供に話かけていた。どうやらこの親子も地方から観光で来ているとのこと。彼女の通訳がとても役に立つ。ところが息子の方は携帯で中国語で何やら話し込んでしまった。現場作業への指示なのだろうか。話が終るのを待ち、また裏の庭園を散策した。 虎丘を一周して戻る。タクシーを拾うのも一苦労。道は信号があっても守らないし、マナーなんてとんでもない所だ。町に出ると見ているほうがノイローゼになってくる。タクシーに乗っても前を見ないようにした。疲れてしまうのである。とっくに12時を過ぎている。町の繁華街に出る。レストランに入り、ホッとする。やっと休める。息子たちがメニューを見て注文してくれている。何が出てくるのかお楽しみだ。次から次へと出てくるが、いったいこれは何の素材なのか!アヒルの舌。妻はおいしいというが私には馴染めなかった。いろんな珍味が出てくるが、疑心暗鬼になってきた。安心して食べられるのは野菜料理だけである。 食後はデパートへ入り、電気製品を見て歩く。特に日本と変わりない。色々と外国製品が並べられていた。 またタクシーで移動し、山塘街へ。運河沿いに古いお土産さんが並んでいた。運河には小船が行きかっていたが、運河は澱んでいる。息子から船に乗るかといわれたが、余りにも東洋のベニスは汚れすぎていたので断った。 次は留園へ。園内には池の回りに楼閣と長い回廊がある。石の芸施術品がある。贅を尽くした庭園である。だが私には共鳴できなかった。というよりもやや疲れてきたのだと思う。ゆっくり庭園を見たのだが、どうも苦手なのである。博物館とか美術館は。腰が痛くなるのである。妻もやや疲れたのか、一旦ホテルへ帰ろうと云いだした。 タクシーを拾い、ホテルへ。夕食の時間にまた会うことにして、息子たちと分れる。やっぱりホテルの部屋が一番落ち着くようだ。夕食の時間まで少し横になった。 ホテルから10分ほど歩いたレストランに入る。鍋料理専門店である。色々と食材を入れるのだが、辛いこと。ビールをお替りして、ヒーヒー云いながら格闘した。 やはり今日も疲れた!。ホテルに帰り、バッタンキュウ!明日は呉・蘇州の城である盤門が楽しみだ。

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正則の山行記録2・蘇州編1日目

121770004 (シャングリラホテル31階にて) 久しぶりの海外旅行である。息子が中国の蘇州に転勤になり、3年が経つ。息子の様子伺いを兼ねて旅行してきた。山登りとは無縁の場所であるが、中国の古都を見物するのも悪くないだろう。早速パスーポート、航空券を手配し出発である。 平成19年12月7日(金)  朝の8時30分に家を出た。私は大きなザックを背負い、妻は旅行カバンを牽いて歩く。息子に頼まれた救急箱、修理したノートパソコン、ポケットテッシュ(中国にはないらしい)、それに会社の人達にお煎餅とチョコレートといっぱいのお土産である。旅行と言うより運び屋である。嬉しいのが半分、面倒臭いのも半分である。わずらわしい荷物を持って成田空港へ。  JL621便は午後2時20発。出発まで4時間半もある。カウンターで荷物を預け、まだ早い昼食を済ませ、第2旅客ターミナルの屋上で飛行機の飛び立つ姿をボンヤリ眺める。長い待ち時間となってしまった。  飛行機は定刻に離陸した。天候もよくラッキーである。機内は7割ぐらいの乗客率でゆったりしていた。飲み物が出たら、また食事である。食事が出るのであれば、無理にお昼を食べなくてもよかったと妻とボヤク。  青空と低空の雲から海が見えている。しかし上海上空は灰色のスモッグで覆われていた。一昔前の経済の著しく成長する東京の姿を思い浮かべる。これからの中国も経済国として大きくなると同時に公害問題で向き合わねばならなくなると思う。ややこれから中国の地へ降り立つというのに残念な思いである。  上海空港に着いた。入国検査も税関もスムーズに通る。余りにも簡単すぎたのでこれが共産国なのかとやや驚きであった。ロビーにはお迎えの人達が大勢いた。当然息子もその中に居ると思っていた。が待ち受ける人達の中に息子が見当たらない。ロビー出口付近に妻を待たせ、私はもう一度お迎えの群れにひょっとして息子の代理でプラカードを持っている人がないかと探す。やはり見つからない。どっと不安になる。「どうしょう!」と冷静に装うが心の中はパニック状態である。息子に裏切られたような切ない気持ちにもなった。暫らく待ち続けよう。今度は妻も代わりに見に行った。人垣の中に。頭の中を整理する。携帯電話を持っていない私である。公衆電話の位置を確認して、彼のところへ連絡を入れよう。それとも構内放送でアナウンスして貰おうかと。なにせ言葉(中国語)が話せないので厄介である。と思っていたら、妻と息子が一緒にこちらにやってきた。「よー!」と声を詰まらせる。異国の地で見放される刹那さを味わってしまった。でもホッとした。妻は「お父さんは心配性なんだから!」と笑わられた。  やや頬がこけた息子は咳き込んでいた。今度は息子の心配である。大丈夫かな!... 蘇州から上海に車で迎えに来たのだが、渋滞して遅れたらしい。いざ車に乗ったら、高速道路は大渋滞である。納得した。車も多いけど、割り込み車の多いこと。古臭そうな車両も多い。長い間渋滞の中にいて、やっと抜け出すと、カーチェイス並みに走りまくる。時速160キロはでてた。彼の専属の運転手さんが急いでくれていたのか知れない。上海から蘇州まで、彼曰く、東京から群馬県ぐらいの時間はかかるそうだ。思っていたより遠い。地図で見ると町が隣同士繋がっているのだが。  蘇州に着いた。やや照明が暗い感じである。でも大きな町である。高速道路から降りて、町の郊外に出た。シャングリラホテルに着いた。息子が手配してくれたホテルである。ガイドブックには五星のホテルだ。私にはやや苦手な所である。宿泊するのは民宿かユースホテルまたは山小屋が私にはあっているのである。やや治安も心配、水、食べ物も心配な国だからここらが高級だが妥当なのかも。31階の部屋で寛ぐ。息子の彼女もホテルのロビーに迎えにきてくれるらしい。彼の携帯で色々やり取りしていた。 ロビーに下りて、4人で外で食事するらしい。5分ぐらい歩いた所で中華のレストランに入る。すでに10時を過ぎている。隣の円卓では会社員が日本語でしゃべっていた。息子の話ではここら辺は日本企業が多いのだそうだ。 息子の彼女とも打ち解けておしゃべりしながら愉快に食事をする。日本語の聞き取りは大分できるが、ややおしゃべりはもう少しというところかな。でも立派なものである。息子は土日を挟んで2日も休暇をとってくれて、蘇州の町を案内してくれるのである。ホテルに戻り、明日の打ち合わせをして分かれた。寝る時には夜中の0時をとっくに回っていた。「ああ疲れた!」  

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正則の山行記録2/附属編・東京WALKING第5回<神田川>

実施日:平成19年7月13日/ 目的地:神田川(柳橋~小石川橋/3.6Km)/ メンバー:単独。 今日は山梨県の秋山・二十六夜山に行く予定でした。生憎台風4号が接近し、梅雨前線を刺激しているので、急遽変更し、都内の散歩コースにしました。 前回はレインボーブリッジから晴海埠頭、芝浦埠頭を見下ろす素敵な景色を満喫しました。今回は曇り空で午後から雨の予報なので、折畳み傘を持って出かけることにしました。 我が家を午前8時ごろ、「善は急げ」とばかりに出てきました。早朝だと20分で火星駅(仮称)に出られるのですが、この時間帯は40分かかりました。「不便なところに住んでいるな!」といつものように実感していました。 火星駅から快速で馬喰町に出ます。この駅で下車するのは初めてです。極めていい加減なスターとでした。要するに隅田川に出られれば良いと大まかな感覚です。C1の出口に出ると、どうやら京葉道路と靖国通りに出たようだ。「よかった!」。見覚えのある道でした。墨田川は目の前。両国橋を渡り、「はて、神田川はどこだろう」と考え込んでしまいました。右手に両国ジャンクション(首都高速)、墨田川左岸沿いに首都高6号線(向島線)があります。地図を取り出してみれば、右岸に神田川の入口があります。「何だ!川を渡る必要がなかった!」 070713f0004 (写真:隅田川から神田川入口) 引き返して、靖国通りを横断しました。2,30メートル先に狭い柳橋があります。「さあここから、スタートです。」 この川は武蔵野市の井の頭池が水源で、途中善福川や妙正寺川と合わせて、この隅田川まで26Kmあります。今回はここから溯ること3.5Km地点で日本橋川と分岐しているところまで行くことにします。 柳橋から上流を窺うと、両岸にぎっしりと屋形船が係留されています。夜になれば粋な江戸見物が出来ることでしょう。 070713f0007 (写真:柳橋から浅草橋を窺がう) 次に浅草橋。この名前の由来は浅草御門前(奥州街道と浅草観音が通るこの地に、江戸城の警護として築かれた門)にあったことから浅草御門橋と呼ばれていた。いつしか浅草橋となったそうです。 次の橋は意外と通行量の少ない、静かな通りです。左衛門橋(この付近に庄内藩主酒井左衛門邸があり、その名前からきているらしい)である。 070713f0013 (写真:左衛門橋) 美倉橋に来ると、屋形船の姿は見えない。公衆トイレも和風の瓦屋根である。「この界隈を流れる神田川の土手は柳並木があったことから「柳原土手」と呼ばれていた。岩本町周辺は江戸城から見れば、鬼門(北東方向)に当る。柳森神社の社伝によれば、大田道灌が鬼門除けに稲荷を祀り、柳を植えたのが始まりといわれている。~」岩本町の掲示板より。 070713f0017 (写真:美倉橋) この川は総武線に平行している。浅草橋駅を右手に見て、小さいオフィス街を進む。 急に車両の通行料が増す。和泉橋の上は首都高1号線(上野線)である。歩道橋を渡る。 070713f0022 (写真:和泉橋) 秋葉原駅が右手にある。総武線と山の手、京浜東北線、新幹線がクロスしている。歩道の街路灯に「神田ふれあい橋」という看板がある。細い路地に入ると新幹線の隣に人間と自転車の専用の橋があった。 070713f0028 (写真:神田ふれあい橋) 070713f0030 (写真:秋葉原電気街と万世橋) 次に広々とした万世橋がある。賑やかな秋葉原の電気街が目の前に広がる。橋の上流左側に赤レンガの(昔の)交通博物館がある。 電気街を過ぎると、昌平橋(この橋は古く、芋洗橋、相生橋などと呼ばれていたこともある)である。総武線が神田川を渡り、御茶ノ水駅で中央線と合流します。 070713f0039 (写真:昌平橋から聖橋を望む) 湯島聖堂を過ぎて、川を振り返ると左岸から地下鉄(丸の内線)が川を横切って、JR線の下を潜って地下に入ります。すると頭上には聖橋があります。 まもなく人通りの多い御茶ノ水橋に出ます。右手は東京医科歯科大学病院と順天堂病院があります。この橋から川を見下ろすと緑に囲まれた渓谷沿いに黄色い電車が走り去っていきました。ほんのちょっと癒されます。 070713f0047 (写真:御茶ノ水橋から上流方面) 右岸沿いに歩きます。神田上水懸樋跡(徳川家康は江戸の入府に先立って家臣の大久保藤五郎に上水の開鑿を命じた~と説明あり)があります。 070713f0052 (写真:水道橋) 水道橋は後楽園があり、一段と賑やかなところです。市兵衛河岸(岩瀬市兵衛の屋敷があった)があり、今は防災船着場となっています。 070713f0058 (写真:後楽橋から小石川橋を写す) 070713f0060 (写真:神田川から日本橋川の分岐) さらに後楽橋を過ぎると小石川橋(寛永13年、江戸城外郭門が設けられた際に、備前岡山藩主池田光政によってここに見付が構築された。其の時に木造の橋が設けられたのが最初です)に着きます。 ここが本日の終点です。神田川の後楽橋と小石川橋の中間の右岸に日本橋川があります。(日本橋川上には首都高5号線<池袋線>があります)11時20分。馬喰町駅から約2時間15分でした。 振り返ると柳橋の下町雰囲気から始まり、浅草橋界隈の衣料雑貨問屋街、万世橋付近の秋葉原電気街、御茶ノ水橋の学生街、水道橋は後楽園を中心にする行楽街が続いていました。昔はこの川の沿岸に多くの河岸があり、春米屋(玄米を精米して江戸町民に販売する米商人)と青物市場が栄えていました。また水害も著しく、関口から下流の全ての橋が鉄砲水で一気に流されたという被害があったそうです。 帰りはまた歩きで中央線沿いに東京駅まで。12時20分着。雨に降られなかったのですが、蒸し暑い1日でした。 <順路> 柳橋~浅草橋~左衛門橋~美倉橋~和泉橋~神田ふれあい橋~万世橋~昌平橋~聖橋~御茶ノ水橋~水道橋~後楽橋~小石川橋 <参考:BRIDGE WATCHING 神田川橋梁群>

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正則の山行記録2/附属編・東京WALKING 第4回<レインボーブリッジ>

実施日:平成19年6月12日(火)/ メンバー:単独。 皆さん、「レインボーブリッジを歩ける!」って知っていますか。私は今回を含めて3回目になります。マラソンコースに散歩コースにいかかですか。約1.7Km、徒歩で20~30分かかります。「レインボーブリッジは二重構造の複合交通施設のつり橋で、下層は遊歩道、臨海道路、新交通ゆりかもめの軌道が走り、上層は首都高速11号台場線が通っています。」(東京港管理事務所港湾道路管理課パンフレットより)こんなすばらしい散歩コースは中々ありませんよ!但し、炎天下、風のある日は避けましょう。 まずは本日のコースをご案内します。夜勤明けで頭はボっーとしていますが浜松町駅からUターンしてJR田町駅へ。JR田町駅東口をスタートします。 070612f0004 午前9時30分頃出発。やや遅い通勤時間帯ですが通勤客がどっと吐き出されてきます。私も一緒に吐き出されますが、急ぐ必要もないので皆さんの邪魔にならないように端っこを歩きます。今朝の羽田空港は真っ白。視界が非常に悪かった。芝浦付近もやや霞んでいます。でもこれから晴れてきそうです。 田町駅から東京湾に向かってまっすぐ歩けば、レインボーブリッジの遊歩道の入口に行けます。運河を渡り、モノレールが上を走っています。ここはマンション群で高層マンションが周りにぎっしり。さぞかしセレブな方が優雅に過されているのでしょう。サングラスをかけて、子犬を散歩させているご婦人とすれ違いました。 首都高1号羽田線を潜ると、レインボーブリッジの高架橋が見えてきます。町の雰囲気も変り、港湾関係の倉庫がちらほら! 070612f0013 レインボーブリッジの下にある7階立てのビル(芝浦アンカレイジ)に出てきます。案内板の矢印に従って入れます。もちろん無料です。「無料っていいなあ!」と思って、臨港道路管理所の駐車場に前職だった黄色パトロールカーが止まっているのに気がつきました。覘いてみたら、昔の同僚先輩がいました。懐かしくて30分くらいおしゃべりしてしまいました。この人たち(調査員)は毎日、臨港道路の施設を見るためにレインボーブリッジを往復しているのです。雨が降ろうが、真夏の炎天下でも毎日欠かさず歩く(日曜日は除く)のです。ダイエットになるかもしれませんが、大変ですね。 ガラス張りの玄関から入場するとサウスルートとノースルートに分かれます。両方エレベーターが設置されており、7階まで上がります。玄関内にトイレがあります。道中長いのでここで用を済ませると良いでしょう。(開場時間4月から10月までは9:00~21:00、11月から3月までは10:00~18:00/休館日は毎月第3月曜日、自転車は不可) 7階に着くと、コンテナヤードと接岸されている貨物船が目に入り(芝浦埠頭)、その先に都心のビル群が見えます。通路を進むと臨港道路の脇に出ます。歩道がありますが、通過する車に圧倒されます。とてもうるさい。 070612f0028 青い海、東京湾を眺めているうちに気にならなくなりますが。中間部に来ると真下に自衛隊(他国かも)の艦船が晴海ふ頭に向かってゆっくり進んでいます。2隻のタグボートに付き添われています。艦船に白い服姿の水夫さんが甲板を歩いているのがよく見えます。写真を撮ろうと構えたら、橋が小刻みに揺れていました。この下約50メートルあります。そういえば、昔この上の高速道路から人が飛び込んだという話がありました。その後どうなったのか分りませんが。 070612f0024 070612f0032 品川台場(島)付近に来ると、サウスルートとノースルートがつながっています。下層部分の下を潜るとお台場の町と人口海浜公園が広がっています。緑が映える砲台跡の人口島も林立するコンクリートのジャングルと対象的です。ビル群の向こうに飛行機が低空で着陸していく様子が窺がえます。不思議な空間から不思議な国に遭遇したかのようです。 台場側入口に到着しました。車で来られる方は入口右側に有料駐車場があります。 070612f0048 浜辺では甲羅干しする若者が数人。そういえば日中、30度近く上がるそうです。すっかり晴れて、梅雨はどこへ行ってしまったのかな! 070612f0060 ビルを突き抜け、新交通ゆりかもめのお台場海浜公園駅に。新橋まで310円。 070612f0062 レインボーブリッジのウォーキングはこれでお仕舞い。途中、お昼を食べて帰宅しました。

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